« 6章1節 6章2節 6章3節 » 

電気通信大学60年史

後編第6章 高度経済成長期の電気通信大学

第2節 電子計算機室の設置

20年の昔になる1959年(昭和34年)といえば、日本では東京大学でやっと問題のTACが動き始め、気象庁にIBM704が導入された年である。一方、米国ではIBM650が一世を風靡した時代は終わり、普及型として1410、大型として709が活躍していた。

当時米国より帰国した土方克法教授は次のように語っている。

私は、向こうで何でもなく使っていた電算機が、日本では学界の権威たちによって雲の上に祭り上げられているのを見て奇異の感を禁じ得なかった。国立大学に電算機を設置する計画があったようだが、72番目の大学にそれが来るのはいつのことかわからない。そこで当分の間日本と米国の間を往復することにした。

昭和36年から新制大学に小型計算機の導入が始められたので、われわれも導入委員会を作って機器の検討・当局へのアピールを開始した。この間の推進役は当時の平島正喜教授であった。何しろ本学内で電算機を使用した経験のある者は有山正孝氏ほか五指に満たない有様なので、学内の意見を電算機に向けることは決して容易ではなかったが、平島氏の努力によって当局へ要求提出の運びとなった。そして3年目の昭和39年度にようやく買取3,300万円の予算を獲得したのである。

当時の小型機として検討されたものは日立のHIPAC103、日電のNEAC2203、沖のOKITAC5090等であった。主記憶装置はドラムからコアヘ移行しつつあり、トランジスターが使用され始めていた時代である。これらの機器は皆紙テープ入力で、言語もアセンブラの段階であった。各社とも売り込みは猛烈を極めたが、結局沖電気に軍配が上がった。この時の導入委員長は神戸謙次郎教授である。選定の理由を思い出してみると沖のシステムはラインプリンタを始めとしてすべての周辺機器が自社製であるために、バランスがとれていて低廉であること、また電算機を使用した者の立場からいうと、往時のデバッグは機械に対面して機械語を一つずつたどりながら行ったものだが、そのようなイメージからは実によくできた機械であること等が挙げられる。ただ紙テープのキーパンチがものすごい騒音を発するのには閉口した。また磁気テープ装置の扇風機のモーターが何度も焼け焦げるのにも悩まされた。

昭和40年1月この計算機は稼働を始めた。それに先立ち木村耕氏を計算機室専任の助手に採用した。同氏を始めとして現在まで電算機室は有能な要員に恵まれ、それがその後の発展の最大の原動力となっている。れわれがまず着手したことは電算機の学内普及である。まず教官を対象とした講習会を行い、ついで同年発足した大学院の学生、学部の卒業研究生に手を伸ばした。ユーザの数は急速に増えて、早くもこの年の終わりには稼働率85パーセント、事実上の満杯に達した。計算機の効能をわかりやすくするために、木村氏は入試処理のプログラムを作成し、41年からこれを使用することになった。これは昭和53年事務用計算機にバトンタッチするまで続くことになった。

木村・斉藤(栴朗)両氏は42年、テープベースのFORTRANを作成した。これによって利用が一段と便利になったが、同種の機器を有する大学からそれを利用したいという要望があり、群馬大学・鹿児島大学・富山大学等に提供した。われわれは電算機の先輩校として一目置かれるようになった。

とにかくこの計算機はよく動いたし、またよく使った。この機械に飽き足らないユーザは当然東大機へ移行していったけれども、毎年卒業研究を行う学生はこの機械の世話になったわけで、彼らにとってはOKITAC5090の名は忘れられないだろう。

現在電子計算機室は、「今日の電気通信大学」第1章第5節にみられるように、 計算機科学科計算機室、 情報数理工学科計算機室、 短期大学部計算機室、の3室に分れ、それぞれの研究活動に当っている。

社会の出来事
  • 昭和38年1月23日 北陸地方に豪雪、北陸信越線全部運休。
  • 昭和38年2月10日 門司、小倉、八幡、戸畑、若松の5市を合併した人口105万人の北九州市発足。
  • 昭和38年3月31日 東京下谷で村越吉展ちゃん(四才)の誘かい事件発生、40年7月3日容疑者小原保、犯行を自供、同年7月5日 吉展ちゃんの遺体円通寺で発掘される。
  • 昭和38年4月25日 大阪駅前にわが国初の横断歩道橋完成。
  • 昭和38年6月20日 米ソ間で直通通信(ホットライン)協定調印、8月30日から機能開始。
  • 昭和38年7月12日 新産業都市に岡山県水島など13か所、工業整備特別地域に茨城県鹿島など6か所を指定、閣議決定。
  • 昭和38年7月12日 閣議で生存者叙勲の復活を決定。
  • 昭和38年9月1日 国鉄、列車自動停止装置(ATS)の使用開始、全線使用は41年4月20日。
  • 昭和38年9月5日 地下鉄京橋駅に停車中の車内で手製の時限爆弾爆発、乗客10人負傷、犯人「草加次郎」と自称。
  • 昭和38年9月12日 松川事件、最高裁で被告全員に無罪確定。
  • 昭和38年11月1日 前年から出回っているニセ1,000円札に対処するため大蔵省、新1,000円札を発行。
  • 昭和38年11月9日 東、西に大事故。横浜市鶴見区の東海道線で二重衝突(鶴見事故)、死者161人。三池三井鉱でガス爆発、死者458人。