電気通信大学60年史
巻頭言
発刊にあたって 平島正喜
電気通信大学学長 工学博士
同窓会 社団法人目黒会名誉会長

60年といえば、人間では還暦にあたり、過ぎ来し方を振り返ってみたくなる年ごろです。このたび高野一夫教授を委員長とする編集実行委員会が、多大の労力を費やして、本学の60年史の完成に漕ぎつげられましたことは、誠に事宜を得たものであると思います。ここに編集委員の方々のご努力に感謝しますとともに、協力を惜しまれなかった教官並びに卒業生各位に厚くお礼を申し上げる次第であります。
本書の完成によって、古い卒業生の中には、目黒時代への郷愁に改めてひたられる方々もおられるでしょうし、新しく生まれ変わった母校の発展ぶりに今昔の感を抱かれる方々もおられると思います。本書が縁となって、これまで母校との間の絆が必ずしも強いとは言い難かった一部の卒業生各位が、母校に対してより強い愛着を覚えられるようになるならば、本書刊行の目的の一端は達せられたことになると思われます。
申すまでもなく、本学は工科大学であります。しかし一般に、その生成発展に年月を要する点で、大学は工業社会よりもむしろ、林業社会によりよく似ているような気がします。この意味では、大学と企業は著しく違うように思います。企業は、好況に恵まれると、数年を経ずして面目内容を一新するほどの成長を遂げることが出来ますが、これに対して、大学の発展には長い年月を要するからであります。それは小さい苗木が、風雪に耐える大樹になるまでには、長い年月を要するのに似ています。この見地からすれば、大学昇格後の30年という歴史は、まだ決して長いとはいえません。本学の真の発展はこれからが正念場であると思います。
本学はやがて、世に誇れるような特色ある優れた伝統や校風を持たなければならないと考えます。優れた伝統や特徴ある校風というのは、大学の具備すべき一種の威厳ともいうべきものです。そして、それには歴史の裏付けが必要であるように思われます。歴史と伝統に対してわれわれが愛情を持ち、それらを継承して行くことによって文化は育って行くのです。
卒業生各位が誇れるような良い大学に本学を育てて行くのは、われわれ全員 ― 卒業生と教職員 ― の義務であると思います。卒業生各位のご声援とご協力を衷心からお願い申し上げる次第であります。
発刊にあたって 高野一夫
電気通信大学教授 理学博士
電気通信大学60年史刊行委員会委員長

人心如面の人生は、朝露のごとくはかないものであろう。時の流れは「逝水滔滔流古今」の例えに似て絶え間ないとはいえ、時は歳月を生み、歳月は不待人である。こうしたつかの間に生きる人間がともに歩み何事かをこの世に残していくのが人間社会の歴史なのであろう。大正7年12月に創基された電気通信大学の歩みもその一つであるが、思えば長くもありつかの間といえないこともない。昭和46年の春、博田五六氏(前学長)から、本学50年史の編さんの委嘱を受けた私は、まずそのための資料収集にとりかかり、公務の傍ら可能な限りの努力を傾けたのであったが、この学園に関与する方々の間に、戦争と敗戦及びそれによって生じた学制変革のために違和感が存在していることが進行を妨げたのであり、すべては無からの出発であった。全国に卒業生の協力を得るための行脚をすること数回に及んだけれども、思うようにはいかず、徒らに歳月が流れたのであった。しかしながら、昭和53年2月にようやく60年史刊行委員会の発足をみ、編集実行委員会が生まれるに及んで、当時の同窓会長安部宗匠氏をはじめとするこの委員会委員各位の土曜、日曜を返上してのご協力によって、ここに60年史の誕生をみることができることになったことは、同窓各位、教職員各位とともにご同慶に堪えない。本書が本学の100年史への基盤となることを考えるとき、感慨ひとしおのものがある。
本学の60年の歩みは、はじめ通信技能者の養成という時代の先端を行く特色をもつものであった。
卒業生は陸、海、空に活躍して日本の先達を勤め発展を遂げたが、志半ばに組織の崩壊に遭遇し、のち新制大学として再生躍進を遂げた歴史であるといえるであろう。
いま、本書を刊行するにあたって母校愛に目覚めた各方面の一方ならぬご協力を感謝するとともに、本学がこれを一つの契機として、大学当局と同窓会とが相互理解をいっそう深め、連帯意識を強化してますます発展することを祈ってやまない。
電気通信大学60年史刊行を祝して 武藤彰・安部宗匠
電気道信大学同窓会 社団法人目黒会 会長
電気道信大学同窓会 社団法人目黒会 前会長


「電気通信大学60年史」の完成を祝し、いささか、学窓の淵源を顧みて、刊行の辞(ことば)を申し述べたい。
ときまさに、近代無線通信の黎明を告げる大正7年12月7日、わが母校は、社団法人電信協会管理、無線電信講習所として呱呱の声をあげ、続いて逓信省所管となり、昭和24年文部省所管電気通信大学と、その輝かしい長い歴史をたどってきた。
学窓創設当初の、電磁波伝搬の通信は、ようやく近代化の夜明けを迎え、以後幾多の発明、応用、および運用を繰り返し今日の隆盛を見るに至った、その長い道程において、わが母校は3万有余名の人材を輩出し、その電波・電子の運用および応用の技術をひっさげて、近代科学文明に多大の貢献をなしてきた。母校およびその卒業生の功績は実に偉大なものがあるといえる。
さて、このたびの母校60年史の完成は、母校の歴史を綴り、われわれ同窓生の郷愁をそそる一大巨編であると同時に、社会に母校の栄えある功績を伝える公告の書でもある。又60年の長い道程を、広く通信分野の発展と軌を一にして歩んできた母校の足跡は、すなわちわが国電気通信の歴史でもあり、その意味で、この60年史は社会的にも重要な価値がある。
そもそも、このように重要な60年史刊行の発端は、昭和46年、時の学長、博田五六氏がこれを提唱なされたことに始まり、続いて教授会がその刊行を決定したことに起因する。学内はもちろん、委嘱を受けた同窓会は挙げて総力体制に入り、直ちに刊行委員会が結成され、その構成員として、高野一夫教授を長とし他243名の委員を揃え、学内外の有知識層を網羅した強力な態勢をとったのである。同窓会は、久津長作会長以下役員および事務局一体となり強力な支援体制を敷き、資料の整備、提供、資金の調達、供給を実施した。その作業たるや、まことに困難を極め、戦時における焼失資料の整備、編集は言語に絶する心労を要したが、会員各位の記憶をたどる投稿、数次の座談会等に救われ、ここに完成の喜びを得るに至ったのである。
高野委員長始め編集委員および同窓会関係として会長以下役員各位の血のにじむような辛酸の努力を多とし、以って刊行の遅延は了とせられたい。
その内容に至っては逐年編集によらず、記録、体験談、感想録等を駆使し、とかく固さに失する年史の殻を破る、ざん新な型とし、もつぱら読む人の心にこたえる内容となっている。編集委員諸氏の絶大な手腕と同窓会関係各位の強じんな忍耐力に負うところ大なるものがある。
ここに同窓会、編集委員会各位に心から感謝と敬意を表すると共に、この完成をみることなく惜しくも物故なされた関係者、参画者会員各位の御精霊に対し、この事実を御報告申し上げ、共にひとしく永久(とわ)にこの事実を祝いたい。