電気通信大学60年史
後編第6章 高度経済成長期の電気通信大学
第3節 図書館の設置
3-1 国立大学初の国費図書館
大学設置基準
- 第37条
- 大学は、その組織及び規模に応じ、少なくとも次に掲げる施設を備えた校舎を有するものとする。
- 学長室、会議室、事務室
- 研究室、教室(講義室、実験室、実習室、演習室等とする)
- 図書館、医務室、学生自習室、学生控室
(1~3略)
4 図書館の閲覧室には、収容定員の100分の5以上の座席を備えるものとする。
電気通信大学として発足して以来、正確にいえば、図書館はあったはずである。大学設置基準は(図書及び学術雑誌)について次のように決めており、電気通信大学もそれを充足していたという点からもそうでなくてはならない。
(図書及び学術雑誌)
- 第40条
- 大学は、授業科目の種類に応じ、次の各号に掲げる冊数及び種類数の図書及び学術雑誌(マイクロフィルムによるものを含む。以下同じ)を系統的に整理して備えるものとする。
- 一般教育科目に関する図書第20条第2項各号の系列についてそれぞれ1,000冊以上
- 外国語科目に関する図書(一)の外国語について1,000冊以上
- 保健体育科目に関する図書300冊以上
- 専門教育科目に関する図書及び学術雑誌
学部名 図書の冊数 2以上の学科で組織する場合の1学科の図書の冊数 学術雑誌の種類数 文学部 8,000以上 2,000以上 30以上 法学部 10,000以上 5,000以上 50以上 経済学部 10,000以上 5,000以上 50以上 商学部 10,000以上 5,000以上 50以上 理学部 8,000以上 2,000以上 50以上 工学部 8,000以上 2,000以上 50以上 農学部 8,000以上 2,000以上 50以上 薬学に関する学部 4,000以上 2,000以上 30以上 家政に関する学部 5,000以上 1,500以上 20以上 美術に関する学部 5,000以上 1,500以上 20以上 音楽に関する学部 5,000以上 1,500以上 20以上 体育に関する学部 5,000以上 2,000以上 20以上
1962年(昭和37年)9月25日発行の電気通信大学新聞には「図書館だより」として、施設が30坪ほど広くなり、全学生の約1割が閲覧できるようになったとあるが、図書館というよりも図書室というべき代物である。いかにも大学設置基準の要件は満たしている(蔵書5万点余り、閲覧室の座席数100席)のだが、大学の図書館としてはお粗末極まりないといってよいであろう。この時、「図書館」の総面積は136坪余りである。
旧制大学の図書館はすべて純然たる寄付に依り設立されていた。また、戦後、新制大学においても事情は同様であった。文部省がこの慣例を破ったのは1964年(昭和39年)12月25日、クリスマスに竣工なった電気通信大学附属図書館においてである。つまり、わが附属図書館は国費で設立された日本で最初の大学図書館なのである。この同じ日に学生会館が竣工されたのだが、大きなクリスマスプレゼントが二つわが電気通信大学に贈られたことを祝福しよう。 この図書館の規模は、鉄筋コンクリート造2階建延1,530平方メートルである。
社会の出来事 |
|
---|
3-2 開架式
この附属図書館は、従来のものと比較して極立った特徴を持つ図書館となった。それは、内部構成として「オール開架式」が採用された点である。従来、大学附属図書館といえば、分類カードで求める図書のナンバーを見つけだし、係員にその検索を依頼する。そして係員は書庫内から照会のあった図書を捜し出し、依頼者に渡す、というシステムをとったもの、いわゆる「閉架式」を用いているものが大部分であった。現実に膨大な図書を収容する図書館において、このシステムは当然とも言えるべきものであったのである。ただ、利用者にとってこのシステムは、実際に目で見、気に入った図書を閲覧するという妙味に欠け、また、借り出す手間という点からもすこぶる不親切なシステムと言えるであろう。
さて、"幸いなことに"わが電気通信大学には、膨大な図書は存在しなかった。昭和37年時点の蔵書数は約5万余りである。この故もあって新設なった附属図書館は「オール開架式」の利用する学生・教職員にとって小規模ながら快適な図書館となった。また、この「開架式」の故に他大学の図書館関係者の見学のための来学が多かったということである。
社会の出来事 |
|
---|
3-3 指定図書制度
指定図書制度は、大学における教育が原則として、教室内の講議等と教室外の自学自習とによって成り立つ単位制教育であることを踏まえて、教室外の自学自習をより効果的に行わせ、学生の勉学を促進するためにとられた制度である。これによって単位制教育の理念を生かし、教官と附属図書が一体となって、教育効果を高揚することが目的とされた。
本学附属図書館では、1966年度(昭和41年度)において、文部省から実験校(当時、11大学)の1校として依頼され、一般教育課程第1年次学生を対象として、翌1967年度(昭和42年度)は継続実施大学として、第2年次の一般教育課程を対象として実施された。いまこの制度の内容を当時の依頼文書から要約してみると次のようになる。
教官がみずからの講義等の内容に従って、開講に先立ち、指定した図書を、附属図書館に備付けることを要求し、附属図書館側では、一般図書と区別して、教官別等により書架に配架し、学生に利用させる。この制度は、教官、学生および附属図書館の一体的関係を樹立して運営する制度であって、より効果をあげるために、学生数に応じて、同一図書を多数備付ける複本制をとることが必須の条件であった。このため授業科目を8科目、1科目あたり5種類指定し、学生10名につき1冊の割合いで重複購入するよう、入学定員に応じ、指定図書購入費が配当された。
このような内容をもって、指定図書制度はその後約10年近くの間に、全国の国立大学で実施され今日に至っている。ところで本学は、実験校として選ばれたので、その初期の1966、1967年度(昭和41、2年度)には『指定図書制度実施状況』についての調査研究が行われ、指定図書の種類、指定図書の複本および価格、受講学生数、指定図書目録(冊子)、あるいは指定図書の利用状況等の詳細な報告がなされている。これら報告書作成にたずさわったわれわれ先達の苦労が、はかり知れないものであったことを、当時の文書等は物語っている。
本学では、この制度実施後も毎年学内予算に指定図書購入費を計上し、新規開講の授業科目について、関係教官の協力を得て補充し、この制度の趣旨を生かすよう対策を講じている。
社会の出来事 |
|
---|