電気通信大学60年史
後編第3章 開学当時の電気通信大学
第3節 電気通信研究施設の設置
3-1 当時の科学・技術的背景
1954年(昭和29年)本学に付置された電気通信研究施設という名称は、多分本学の名称が電気通信大学だから研究施設もそのように命名をなされたのだろうくらいに、一般の目からは簡単にみられがちだが、創設当時考えた名称は別のものであった。ちょうど、1948年(昭和23年)ころ、相前後してウィーナー博士はサイバネティックスを、シャノン博士は情報理論を提唱し、世界の科学・技術界はようやく、通信の本質に目ざめはじめ、これが将来の国家・社会に大きな影響を及ぼすであろうことを感じていた。当時初代の学長であった寺沢寛一先生はいち速くこの情勢を察知し、この命題を本学振興の基本方針として採択された。そして、優秀な人材を集めるには、この命題を中心とした研究所を設置することが急務であると考えられ、1952年(昭和27年)ころから計画をたてられた次第である。
1952年(昭和27年)2月から8月まで米国マサチュセッツ工業大学に情報理論研究のため客員教授として出張した関英男講師は、帰国後、郷里中学の先輩にあたる寺沢先生に最新の情報を報告したのだが、その内容は研究所設立計画の構想にも取り入れられ、名称も情報理論研究施設となっていた。しかし、1953年(昭和28年)8月18日に提出した昭和29年度予算に大学付置研究施設の新設とした書類では電気通信研究施設新設概算要求書となっており、1955年(昭和30年)8月12日提出した概算要求書では通信科学研究施設の整備と書いてある。また、創設当初調布移転後、G棟と称する木造平家建73坪のむさくるしい玄関に、「通信科学研究所」か「通信科学研究施設」かはっきり覚えていないが看板をかけてあったと記憶する。通信科学の上に電気をつけるか、つけないかで、構想の大きさに相当の開きがあるわけであるが、名称のことにはあまりこだわる必要もないであろう。1952年(昭和27年)には電気通信学会の研究専門委員会の一つに「インホーメーション理論研究委員会」が追加された。これで、一般の認識も次第に高まってきた。
3-2 電気通信研究所設置の目的
1953年(昭和28年)に同施設新設要求書として文部省に提出した書類の最初にあげた文章は、次のような内容のものであった。
電気通信工学は電子工学の発展に伴い、最近急速の進展をみたが、通信の本質を究明する通信理論あるいは情報理論は最近ようやく緒についたばかりである。この事情は、あたかも19世紀において熱力学を基礎とする熱理論が誕生して、まだ蒸気機関が発明されなかったときのようである。あるいは電磁波動論が世にでて無線電信が発明されなかった時代と酷似している。しかしながら、よく考察するに、現在はそれ以上に重大な要素を含んでいる。すなわち、情報理論の進展に伴い、驚くべき発明発見が相ついで出現することが予想される以外に、現在ややもすれば孤立しがちな諸科学相互間の関係が、情報理論ひいてはサイバネティックスを仲介として次第に密接な結合をますという意味において形而上・形而下のすべての科学史上重大な時機に直面している。この際、情報理論及びその応用に関する積極的な研究を展開することは、国力の増進のためにも、日本文化の前進のためにも、絶対不可欠の要素である。
以上述べた情報理論は、アメリカのウィーナー、シャノンの2人の学者によって体系づけられたのであるが、今や世界各国において重要課題として着々と研究が進められ、成果をあげている。その赴くところ、あるいは近い将来通信界に一大革命がもたらされるようなことがないとは、何人も断言し得ないところである。かく情報理論に関する分野は将来の発展を期待し得るところの広大な領域を占めるであろうし、また主として通信の本質に関する分野であるという点で、この情報理論を根幹とした電気通信に関する学問の研究を進展せしめることこそ、電気通信大学の最大の使命でなければならない。よって本学にこの研究施設を設置せんとするものである。
目的を要約して「情報理論の学理及びその応用の研究」として提出した。
3-3 認可の経緯と発足状況
開設の日時は1954年(昭和29年)4月としたが、実際に文部省より認可がおりたのは昭和29年3月31日付であった。最初の設置場所としては、目黒区下目黒1-5電気通信大学内とし、当時調布校舎の建設に伴い、物理化学棟が移転した後を利用することにした。実験装置等は他の機械設置室を臨時的に利用することにした。職員としては、初年度専任教授1、兼任教授2、助教授3とし、事務官、雇員、傭人は7名を予定した。最終年度では専任合計45名、兼任合計8名の見込であった。また、核心となる研究内容としては、次の3部に分けて計画した。
- 第1部
- 基礎部門の下では雑音と信号の統計数学、エントロピー論、記号化理論、炉波器の新設計理論。
- 第2部
- サイバネティックス、情報科学の部門では、マスコミュニケーション理論、通信量の定量的価値判断を基礎とする経済学、情報理論的国語構成論、情報理論的心理生理学、モールスコードの情報理論的研究。
- 第3部
- 応用部門は電信の帯域幅の圧縮、電話の帯域幅の圧縮、写真電送の帯域幅の圧縮、テレビジョン信号の録画、レーダー感度向上、音声タイプライター、自動制御理論等。
これら各部門各研究テーマは、初年度より逐次拡充して昭和31年度までに完成する予定であった。したがって、設備費予算の方も、昭和29年度716万5,000円、昭和30年度465万円、昭和31年度520万円とした。具体的な品名は昭和29年度デジタル・コリレーター等6件、昭和30年度はボコーダー等7件、昭和31年度は符号選択装置等5件となっている。
続いて1955年(昭和30年)8月12日に、昭和31年度以降の改訂予算を提出した。この書類の中で、開設以来理論的研究である程度の成果があり、数編の論文を報告し、引き続き昭和33年までの間に特殊電子管の工作施設を新設したい旨の計画書をそえた。今日電気通信研究施設の発展を喜ぶとともに、今後いっそうの拡充によって研究所にまで脱皮することを待望する次第である。
社会の出来事 |
|
---|