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電気通信大学60年史

前編5章 拡張期の無線電信講習所

第1節:景気の回復と選科の設置

1-1 聴守員科の設置

海上人命安全条約において要求する無線通信士の資格は、主任者以外の者については、単に他の船舶から発する遭難通信等の聴守ができれば足りるのであって、必ずしも高級の資格を必要としないため、一般高級船員が兼務することも可能であり、また、その方が得策とも考えられるので、東京、神戸の両高等商船学校においては、船舶無線通信士の払底を緩和する対策として、大正の末ごろから、両高等商船学校の航海科学生に対し、無線通信士第三級(後の聴守員級)の資格を取得するに必要な科目を、正規の授業として教授することにした。そして当初は逓信省で行う無線通信士資格検定試験を受験させていたのであるが、その成績が相当良好だったので、東京高等商船学校については1927年(昭和2年)3月以降、また、神戸高等商船学校については1972年(昭和2年)9月以降に、おのおのその航海科を卒業する者に対し、無試験で第三級〈1931年(昭和6年)7月以降関係規則の改正により聴守員級〉の資格を付与することに認定されたので、毎年相当数の聴守員級通信士を出していた。

1934年(昭和9年)には、無線電信講習所においても聴守員科が設置され、同年中に合計106名が2、3ヶ月の講習を受け、聴守員級資格を得たが、養成がこの年だけに終っているのは、聴守員級通信士が有名無実でしかなかったのと、次第に発達をとげた自動警報受信装置(オート・アラーム)が、法規的に聴守員にとって代ったためと思われる。

社会の出来事
  • 昭和13年5月13日 東京帝大航空研究所の長距離機、周回1万1,651㎞の航続記録世界新記録を出した。

1-2 選科の設置と2号校舎の落成

世界的規模で吹き荒れた大不況も、アメリカ合衆国、ルーズベルト大統領によるニューディール政策を転機として、次第に立ち直りを見せ、「昭和恐慌」のどん底を脱した日本経済は、その一環として海運、造船界も、急速に回復の兆しを見せはじめていた。そのうえ、満洲事変以来の大陸進出政策の推進並びに対欧米戦略的商船隊の拡充、整備に力を注ぐ軍当局のバックアップもあって、海運界は活発に胎動をはじめていた。

電信協会においては、1936年(昭和11年)春多数の新造船計画が発表され、その着工が進められている状況から、これに順応する計画、殊に第二級資格者の需要が急増することを推測し、特別養成につき考究中のところ、逓信当局もその促進を要望してきた。また同時に船主協会より、無線通信士の採用困難を来たせば海運の進展にも影響を蒙むるおそれがあるとして、電信協会へ急速養成を懇請してきた。そして特別経費を要するならば相当の応援をするから、との申し出があり養成計画は急進展した。

無線電信講習所では目下、本科1、2年とも各2学級あて、特科4学級合計8学級人員367名で、校舎は狭隘となり、教職員にもほとんど余裕のない状態でこの計画を実行するには、差し向き校舎の増築、教師の増員等が不可欠とされたが、事態は急を要するというので関係者協議のうえ、1937年(昭和12年)1月7日逓信省に選科設置の認可申請が行われた。この選科制度は修業年限1ヶ年をもって、銓衡検定により第二級無線通信士資格を取得させようというもので、学則その他に今後検討を要する事項もあったが、同年1月28日には逓信省より認可が下りた。

無線電信講習所においては、直ちに学生募集を開始したが、時間に余裕もないということから、ラジオ放送を大いに利用した。当時は民間放送は存在せず、日本放送協会東京中央放送局JOAKより、数回にわたり放送されたが、選科生入学後の話によると、このラジオ放送により受験した者もかなりあった。同年2月25日をもって選科生の募集を打ち切り、26、27の両日入学試験を執行した。応募者208名、合格者は69名で3月8日入学を許可され、ここに第1回選科生の教育が開始されたのである。この選科設置により教室はフル回転しても当然不足と手挾まが予想されたので、選科設置の認可申請以来校舎増築案の検討と建設費の調達を計っていたが、日本船主協会より金4万円の寄付もあり急ぎ着工した。増築校舎は延坪数約200坪で6月18日上棟式を挙行、同年9月24日落成した。これが第2校舎で旧館第1校舎とは廊下で連絡され、旧館より2メートル程度高い東北側の段地に建てられた木造モルタル塗り2階建のものである。

当日の新築落成式に出席の来賓は150名に達し無線電信講習所開設以来の訪客で、講習所学生30名も人手不足の応援として接待に参加した。式は2階講堂で行われ若宮会長の挨拶、逓信大臣の祝辞、船主協会長の祝辞等があり午後1時半無事終了した。

参考までに無線電信講習所選科規則をあげておこう。

第1条 無線電信講習所に選科を置く
第2条 選科は昭和6年逓信省令第8号無線通信士資格検定規則に依る第二級資格を得るに必要なる学術技芸を教授す
第3条 入学試験は之を分ちて筆記試験、口頭試問、及体格検査とす
筆記試験は左の科目に就き中学卒業程度に於て之を行ふ
1. 国語(作文、講読、筆蹟)
2. 英語(英文和訳、和文英訳)
3. 数学(算術、代数、幾何)
第4条 修業期間は1箇年とす
(以下省略)

なお学科目は修身、電気理論及電気機械、電気通信術、内国無線電信無線電話法規、外国無線電信無線電話法規、英語、仏語、交通地理、船舶概要、無線電信無線電話学、無線電信無線電話実験、通信実験、以上である。

社会の出来事
  • 昭和13年7月9日 商工省が物品販売価格取締規則を公布。(公定価格が始まった)
  • 昭和13年 この年、夏から東京の青バス、木炭車に改造を開始したほか、代用品時代に入り、陶製のナベ、竹製のスプーン、サメ革のクツ、鮭革のハンドバッグ、木製のパケツなどが出回った。