電気通信大学60年史
前編3章 無線電信講習所の発展
第5節:特科の増設、漁業界へ
5-1 漁船級資格の新設
大正時代当時の日本の漁業は、まだ小規模のものが大半で漁船も設備の劣悪なものが多かったが、欧米諸国では、漁船の安全を守り、魚群の発見を通報して漁獲量の増大を図り、市場の相場を通報して漁獲を制限したり荷揚げ港を変更する等を目的として無線設備を持つ船が相当数在ったのである。
「逓信史話」上巻の「漁業無線の創設」によれば、1913年(大正2年)、唐津を定繋港とする農林省漁業監視船速鳥丸に官設二等局を設置したのが漁船関係無線の最初であり、1920年(大正9年)、静岡県が初めて漁業監視指導船富士丸に無線を装置し、その年千葉県沖で舵機に故障を起こし無線があったために漂流を免れるという事件により漁業者間に無線の効果が認識されたということである。日本の漁業界にとっては幸いな出来事といわなければならない。
しかし、当時、最もポピュラーな無線機であった火花式無線機は約1万円ほどであり、零細な漁業関係者が各自で備えるには高価すぎ、無線機の普及はほとんど進んでいないのが実状であった。
1921年(大正10年)、大日本水産会は特許局の発明奨励費を利用し、同年から3年間継続して漁業用無線電話の考案を募集した。そして翌年、応募の中から小型真空管式の実用価値を認め、1923年(大正12年)、焼津漁業組合は、陸上と漁船間用にこれを採用したのである。
このようにして漁船用無線機器として実用に足りるものが開発されたのである。ところが、いざ装置があって轟心な人がいない。漁船に配置された国際無線電信条約の定める有資格者である第二級通信士は、船が小さい、魚の臭いがひどい、環境の変化に耐えられない等の理由で船を降りる事態が多く発生したのである。
この事態に対処するためには、漁船乗務の通信士として漁村出身者に無線教育を施す事が実際上最も適当と考えられ、漁船級資格が新設されるに至ったのである。その経過について、小松三郎氏が、前出「漁業無線の創設」に簡単に述べているので引用してみる。
私が通信局無線係長のときこれを救済するために、条約上の第二級資格の一つとして本邦独特の漁船級資格を創設し、漁業者の子弟を教育してこれに充てることが急務であるとして上司に提案し容れられた。三宅電信課長から園田課長の時期であった。直ちに関係資格規則が改正公布され、無線電信講習所においても、漁船級科を特設してその養成が創められた。
1915年(大正4年)10月26日省令第48号「私設無線電信通信従事者資格検定規則」に漁船級資格の項が加わったのは、1924年(大正13年)6月9日省令第29号によってである。
- 漁船級
- 無線電信法第2条第1号第2号に依り総噸数500噸未満の漁船に施設したる私設無線電信の通信、同条第3号に依り同漁船に施設したる私設無線電信の和文通信及同条第5号に依り施設したる私設無線電信の通信拉同条各号に依り施設したる私設無線電話の通信の補助に従事し得る者
漁船級資格の付与が、船舶無線通信の発達に大きく寄与したことは言うまでもない。端的に言えば船舶無線の視野を拡げるという仕事に法的な支援を果たしたのである。さて、体制は整った。これから、無線電信講習所の対応について詳述しよう。
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5-2 大日本水産会からの委託
「電信協会会誌」第251号、無線電信講習所便りに次の記述がみえる。
漁船専用通信従業者養成トロールに非ざる小型漁船の無線通信従事員は其の性質上漁業家の子弟を以って之に充つるを必要なりとし大日本水産会其他当業者の熱誠に依り差向き同水産会の依託に依り静岡県焼津漁業組合より選出せられたる者7名(後1名増加し現在8名)を本所に収容し向う6ヶ月間に之を養成することとなり10月23日其の始業式を挙げたり当日水産関係として農林省より水産局長代理春日信市農林技師、水産会長代理大槻清三主事、下啓助監事其他の来臨あり、挙式に方り先づ小谷幹事より挨拶旁学生の心得等につき訓諭あり次で左の如き水産局長代理の祝辞及水産会長の告諭(下氏代読)ありたり。
公的に、大日本水産会長から電信協会に小型汽船無線電信従事者の養成を依託してきたのは1925年(大正14年)10月21日のことである。また同日、養成計画、予算追加について逓信大臣から認可されており、その日以前から相応の打ち合わせがあったと推測される。
大日本水産会としては、漁業用無線機器を懸賞募集した時から、漁船用無線従事者について考慮していたとするのが自然であろう。ともかくも引用文中に明らかなように1925年(大正14年)10月24日に第1回漁船用無線電信通信士養成講習会の始業式が挙行されている。修業期間は6ヶ月である。(この学級は特科と称した)
この第1回特科の教育は大変だったようである。芋焼酎中毒の青年がおり、ときどき講義が分からなくなるというエピソードも残されている。荒くれの漁船員に講義を行う当時の教師の苦労がしのばれる話ではなかろうか。
このようにして、漁船無線への従事が約束された漁船級資格者の養成が始まった訳だが、その効果はどのようなものであったろうか。漁船無線電信電話数を年ごとに追い、その回答とすることにしよう。
大正10年末、13。大正11年末、39。大正12年末、60。 大正13年末、65。大正14年末、72。昭和6年末、226。
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