電気通信大学60年史
後編第7章 電通大紛争
第1節 紛争の発端
1968年(昭和43年)- 8月19日(月)
- 学寮従業員(学生雇) 1名、補充要求。
当時電通大調布寮には、国費雇3名、学生雇5名の従業員が従事していたが、そのうち学生雇1名が7月末で退職した。そこで寮生は自分たちの負担を増大することなしに炊婦全員を公務員化できればとの考えであったが、公務員の定員削減がさけばれている情勢のなかでは、公務員の定員増を図ることは極めて困難な状態であった。
特に、1964年(昭和39年)2月18日付の「負担区分通達」によって、受益者負担の原則に基づき、食事材料費、光熱水道費、炊婦の人件費は食事の直接員と考えられ、これらは当然受益者である寮生の負担するべきものであるという見解から、寮炊婦の公務員化は、大学がいくら要求しても認められるはずはなかった。
こうした事情から、一部の寮生はこのような内容をもつ負担区分通達は、まさに不当であり、しかも通達という形でこのような押し付けを大学にするということは、官僚による大学統制の何物でもない。更にこのことを十分認識せずに統制に屈している大学当局の姿勢に問題ありとして、闘争を盛り上げようとした。
- 8月27日(火)
- 団交申入れ
8月19日から本日に至る問に、寮生より、電気通信大学調布寮、負担区分闘争委員会が結成され、厚生課長を通じて、次の内容による団交の申し入れを行った。
団交内容
1、食堂従業員全面公務員化
2、2・18負担区分通達撤廃
- 8月28日(水)
- 学長・事務局長に面談強要。
学生部長の回答を受けたが、寮長はこの回答を不満として、副寮長及び寮生の3名により直接学長室へ行き、学長の面談を強要したが、学長までは連絡がなかったため、彼らは要領を得ず、寮生は"団交の内容の問題について説明したいから、9月4日の教授会に出席させろ"と強要し、引き続いて彼らは事務局長室へ行き、同じく面談を強要したが話は物別れとなった。
この結果、これらの寮生は「闘争宣言」及び「寮委員会ニュース」を発行し、ここにおいて、2・18負担区分撤廃闘争、寮従業員全面公務員化闘争という主題のもとに、大学当局に対する闘争が開始された。
闘争宣言文(原文のまま)
全寮友、全学友、全教職員諸君 2・18負担区分通達がなされてから4年になる。我々は負担区分全面撤廃のスローガンの下、同時に「闘争」を行なってきたのであるが、それは学校側へ「請願」するという消極性の故に当然そのスローガンを充す勝利をおさめることができなかったが、その消極性の理由がないわけではない。
すなわち大学側も学生側も、共通の「自治」の名のもとに共通の意志実現の形態である「大学共闘」を形成し、みずからもその共同体の一環であることを認めていたからである。
しかしながら諸君、いまや我々は共同体から決別を宣言する。「共同体」の一員である学校側のえらい人のうち、いわゆる負担区分は国家の正しい政策であり、その実行は私の任務であるから、任務の実行をするにすぎないと言明している。
たびたび起る我々の闘争で明らかにしたように共同体内部に国家の利害と我々の利害は対立しているし、現在ではその「国家」「大学共同体」の名の下に、日本帝国主義者の特殊利害を貫撤し、それに抗する我々に対しては「秩序」というもので圧殺を加えているということははっきりとみてとることができるであろう。
しかし、この通達の内容が「大管法」にも盛られていたし、それを国会では廃棄された。
私達の上に押さえつけされるということは、もはや支配階級はこの共同体さえも空洞化していることだし、それから決別せずに、しがみつこうとしている学友会執行部の諸君はおめでたいといわなければならない。
東大闘争は以上のことを赤裸々にしめしている。全大学人がみずからの疎外をうみだす実践とそれの実現状態である「秩序」=「大学共同体」を突破し、幻想でなく新たなる真の秩序=共同体建設へ向けて起ち上がろう。
2・18負担区分通達粉砕
寮食堂従業員全面公務員化
大学の帝国主義的再編粉砕
大学共同体の幻想をうちくだけ
昭和43年8月28日
電気通信大学調布寮35期寮常任自治委員会
- 9月4日(水)
- 教授会に学生がなだれ込む。本部玄関に学生の落書出現。






他大学紛争 関係 |
大学紛争の政治的背景及び目的や組織の実体などについて、ここで記述することは差し控えるが大学紛争は全国的に波及した日本の大学史における一大痛恨事であった。 本学の紛争史を記すにあたって、下欄に他大学紛争関係の記録を書きとどめ、紛争展望の資料とする。 1968年(昭和43年)
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