電気通信大学60年史
後編第6章 高度経済成長期の電気通信大学
第11節 求人難時代の就職動向
東京オリンピック以後、日本経済は高度成長の道をたどっていった。昭和30年代前半に行われた設備投資の大幅増大により、30年代後半には労働力不足-求人難-の時代がやってきた。こういった状況の中で大卒者は企業にとって(特に大企業にとって)は「金の卵」であり、引く手あまたであった。青田刈りと称して、企業が大学生に対してアタックしていったのもこの時代であった。
もちろん、電通大もこういった状況と無縁ではなかった。これを裏付けるように、1962年度(昭和37年度)の卒業生の就職状況をみてみると、卒業者数は188人と1978年度(昭和53年度)の3分の1にも満たない。このうち就職したもの173人となっており、卒業者中9割を越すものが就職している。また、就職希望者中の就職率はほぼ100パーセントであった。この内訳をみると、約6割のものが製造業へ就職しており、また、このうちのほぼ半数は電気産業である。これは、現在の就職業種とほぼ同様の傾向にある。主な就職先をみると、日本電気(6人)、日立製作所(6人)、松下電器産業(5人)、沖電気工業(4人)などである。このほかでも大企業と称される所への就職者が目立つ。これは何も電気産業だけに限ったことではない。たしかに、実数では大企業への就職者はあまり変わってはいないかもしれないが、現在より就職者数が3分の1であった事を考えれば、かなりな比率といわなければならない。しかし、また一方で、大学の数の少なさ(現に電通大の学科、学生数とも大幅に少なかった)、また大学進学率の低かったことを考え合わせてみると、しごく当然の結果であり、特に、人手不足、求人難時代に現在より少数の大卒者を確保するに大企業がやっきになったのは想像できることである。
次に、昭和40年代の初めの就職状況をみてみる。前に記述した昭和37年度から3年後をみてみると、この間に1963年度(昭和38年度)から新たに通信機械工学科が卒業生を送り出しており、電通大自身も高度成長していた時期にあったといえよう。この中で、1965年度(昭和40年度)の卒業生の就職動向を見ると、就職率は昭和37年度に比べやや低下した。これは、日本経済の成長率がややぺースダウンしつつあったこと、大学卒業者が電通大にみられるように増加する傾向にあったことなどが考えられるが、まだまだ大学生の売り手市場であったことにはまちがいない。
就職先の業種もほぼ昭和37年度とあまり大差がみられず、製造業中心でとりわけ電気産業の占める割り合いが多くなっている。しかし、通信系、家電系が多い中に、電算機系の電気産業への就職者率が昭和37年度に比べやや増加傾向にある。また、通信機械工学科の卒業生が含まれていることにより、機械工業への就職者も増加している。
これを企業規模でみると、まだ大企業への就職者が多い、しかし、昭和37年度に比べてみた場合、やや占める比率が低下している。また同じ大企業といっても、日本を代表するビック企業への就職者率がやや減少し、その下の規模くらいの企業への就職率が高まっている。
次に、高度成長時代末期の就職状況を、1970年度(昭和45年度)卒業生についてみる。この昭和45年度までには、1969年(昭和44年)にドルショックとよばれるアメリカのドル防衛対策の衝撃的な発表、それに対応するかのようにして、円の変動相場制への移行という一連の高度成長に対する暗雲が垂れ込み始めていた。また、電通大も材料科学科・物理工学科という2学科が新設されており、この期間に既に卒業生を送り出していた。したがって、昭和45年度卒業生は388人となっており、昭和37年に比べ2倍になっている。こういった状況の中で就職戦線も学生側の売り手市場から徐々に企業側の買い手市場へと移行しつつあった。このことを裏付けるように、翌年の1971年度(昭和46年度)卒業生は、2月17日の段階において、就職希望者のうち約2割強の人たちが内定していないといった、昭和37年当時には考えられない事態に直面することになる。
さて、昭和45年度卒業生の就職先をみると、就職者中8割強の者が製造業に就職しており、そのうち6割が電気関係であった。したがって就職者中なんと2人に1人が電気関係に就職していることになる。この数字は昭和37年以降の傾向とほぼ同様の結果である。
これを企業規模でみた場合、昭和40年度に比べてみてもやや企業規模は小さくなっている。 しかし、主流は大企業であることに変わりはない。
以上見て来たことをまとめると次のようになる。高度成長期の前半は、大学卒業者数の少なさ、企業側の人手不足等により就職状況は非常に良好であり、学生側もより条件のよい大企業へ就職するケースが多く、全くの売り手市場といえよう。
中期は、大学、学生数の増大により、やや就職状況は悪化したとはいえ、大卒者は「銀の卵」くらいの評価はなされていたといえよう。
後期は、アメリカのドルショック等により、日本経済の前途にややかげりがみえてきた。しかしながら、就職状況は依然として現在と比較した場合、そう悪いとは言えない。特に電通大の場合、高度成長期を通して、その就職先の主なものは、電気産業であり、電気産業の好・不況に就職が左右されるといえよう。
なお、学生の就職活動を現在と比べた場合、非常にのんびりしており、会社訪問等のいわゆる就職活動はほとんどなされなかった。というのも、企業側の人を集めようとする熱意が強く、逆に企業側から"大学訪問"が行われたほどであった。
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