電気通信大学60年史
後編第6章 高度経済成長期の電気通信大学
第7節 通信工学科の設置
本学科は大学の創立にあたり、はじめ陸上通信専攻として発足をみたが、その後電波通信専攻B類となり、更に1959年(昭和34年)に電波通信学科陸上通信専攻と変更され、入学定員は40名であった。学科の性格を説明するために講座編成を紹介すると、例えば、
- 昭和38年度
- 第1講座(電磁気学)
第2講座(電気回路学)
第3講座(実験工学)
有線通信第1講座(有線伝送学)
有線通信第2講座(有線機器学) - 昭和39年度
- 電磁気学
電気回路学
実験工学
有線伝送学
有線機器学
このような講座編成からも分かるように狭義な有線関係の教育を目的としてカリキュラムが組まれていた。しかし本専攻名はまことにユニークで世界唯一のものであるが、外部に対して学科の内容を明確に把握させることが難しく、就職のときなど困惑した思い出も多い。特に、不況な時代が続いたこともあり、すっきりとした学科名称づけに苦心したものであるが、それよりも優秀な人材を輩出させることで外部に本専攻を認識させるよう教育、研究に情熱を傾けることによって不利な面を一掃することに成功したのであった。
1966年度(昭和41年度)に、本年以降の入学志願者急増問題に対処して、大学の門戸開放をはかるため多人数教育方式が採用され、それを機会に同年電波通信学科を電波通信学科及び通信工学科に拡充改組し、ここに通信工学科の設立をみることになった。入学定員は60名である。
本学科の増設要求理由を、電気通信大学新聞第98号〈1964年(昭和39年)7月1日発行〉にみると、
とある。通信工学科は産業内からの要求により、現在並びに将来における電気機器の高速度、高性能化の要求に伴い、一般電気計器から電子計算機に至る各種計測機器あるいは各種自動機および制御において部品の小型化・性能の向上に関する精密工業科学は、近代電気企業における生産過程の中で非常に重要視せねばならぬものとみられる。
わが国において、現在精密工学科を持つ大学は少なくないが、それらは戦前の航空工学科より転科したもの、あるいは一般精密機械を対象として機械工学より派生したものが多数である。しかし本大学で要求している通信工学は、電気機械変換理論を骨子とする通信機器を対象とするものであるから、他の大学のそれとは多少意を異にしている。
通信工学科の名称の選定は当時通信工学をもつ国立大学は東北大学、大阪大学、信州大学などの数大学にすぎなかったことと、一方で、情報化社会の到来を予測し、この前人未踏の分野に対応できる人材を育成することも考えて広義の電気通信の基礎教育に全力を挙げ、通信工学の中心的存在として恥しくない特色ある学科創設を目標として努力し、47年度現在の通信工学科の講座編成は次のようであった。
- 電気回路学
- 伝送工学(有線伝送学改称)
- 搬送工学(新設)
- 交換工学(有線機器学改称)
- 音響工学(新設)
なお、新設は電磁気学、実験工学の振替えであり、電磁気学、実験工学の2講座は共通講座として編成されたが、当分の間通信工学科所属として管理運営を行うことにした。後日、電磁気学は電波通信学科に所属することになった。
さてこのような紆余曲折を経て通信工学科の設立をみたのではあるが、更に、1973年度(昭和48年度)には定員10名の特別(高専)編入学生受け入れを条件として電子部品学講座が設置され6講座編成となり現在にいたっている。
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