電気通信大学60年史
後編第4章 全学調布移転
第5節 目黒校舎の廃止
1920年(大正9年)12月15日、麻布区飯倉町から郊外の目黒村に移転して以来、船舶通信士養成を目的に設立された無線電信講習所は、戦時下の1942年(昭和17年)に電信協会から逓信省への移管があったものの、多くの通信士・通信兵・学生を生み出した。この目黒の校舎も、大学昇格後は、敷地の狭隘も関連して、新しい土地を捜さねばならなかった。この件については後編第1章の4-5節と第4章の1節に既にふれているのでここでは割愛する。調布への移転は1951年(昭和26)年9月15日北多摩郡調布町に校舎敷地を購入した時に始まり、翌1952年(昭和27年)3月30日の木造普通教室竣工、同年の4月21日に調布校舎の開所式を挙行した。この後の校舎・研究棟の増設に伴い、教養関係から調布キャンパスに移転を始め、1957年(昭和32年)の専門系の移転を最後にして、調布移転が完了した。移転に6年間を要したのは、文部省の予算の関係で、調布校舎の建設が遅れたためである。大学としては目黒校舎を含む不動産を売却し、校舎建設の資金にすべく文部・大蔵省と折衝を行った。この結果、学校法人五島育英会が調布校舎を建設し、目黒の不動産と交換することで話が決着した。以上、無線電信講習所移転からはじまり第二次世界大戦、戦後の大学昇格へと多難ではあったが、大学の基礎となった目黒校舎は、昭和32年12月15日に35年間の歴史を閉じた。