電気通信大学60年史
後編第4章 全学調布移転
第3節 本学における無線通信従事者教育
3-1 通信術の問題
1953年(昭和28年)12月15日発行の電気通信大学新聞25号から再録してみる。
『本学の電波通信の後進性といわれるものについて』現在の電波通信専攻の実習内容では、日夜進歩を続ける無線通信界から取り残されるのではないかという学生の不安は尤もである。学校側でも、専門委員会を造り毎週会合を重ね検討しているが未だ具体的成案を得るに至っていない。しかし、大学である以上は、学問の場であり、通信士養成を目的とした講習所時代の職場訓練とは異なるのであるから、通信の新しい分野を開拓して大学にふさわしい通信実習を行いたい。
現在、無線通信界には、新しい学問的基礎の上に立った革命が起りつつあるが、その新理論と職場の人とを結び合わすのが本学の任務であると思っている。従って、一級無線通信士の国家試験の及落によって、本学のかなえの軽重をうんぬんする人もあるが、その試験方式から見て大学として問題にしていない。
「第1回学園充実懇談会」は、去る昭和28年12月4日3時より、調布校舎で学生50名教職員8名の出席の下で開かれ、本学に於て学問発展を妨げている種々の問題について討論された。討論は主に本学のあり方、電波通信に集中され、通信に於ては一般問題である通信術実習。今回は第1回で準備不足であったが成功を収めたと主催者側はいっていた。
主催者側より電気通信大学も発足後、既に5年を経て、そろそろ反省期に入ったのではないかと思います。そしてこの学園を見る時まだまだ多くの反省すべき問題が山積されています。事実、私達、この大学に学ぶものが常に感じるのは「自分達の大学は本当に此の儘でよいだろうか」という疑問です。最近になって調布寮を中心として学生一般の自治意識が高まり、今迄の様に単なる不平としてではなく、我々の学園の中のこうした矛盾を本当に学校を良くして行こうとする立場に立つ人が集まって、話し合いの中に解決の方向を見出そうとする空気が生まれ、この学園充実懇談会を開くことが出来ました。
早速討論に入り、白熱した論議が交された。先ず問題になったのは本学の表看板として社会に認められている通信専攻いわゆる"通信術"であり、その前近代的性格、それに附随する本学の社会的な裏づけに集中された。これは本学の運命を決する問題なので学生の苦悩が良く表われている。
司会 通信実習の時間が多いという事について……。
- A・2R
- 本学では経営専攻でも"通信術"を毎週何時間かやらされる。しかしこの様な事を1年間続けても物にならない。通信専攻の学生は「就職難ならば船に乗れ」といわれる。明らかに時代錯誤ではないか。3、4年生になると学校から圧力を加えられて何も出来ない。また学校は通信の実態を先に知らせないがこれは無責任だ。
- B・2R
- 通信専攻は良いと思うが、明治から続いたあの間の抜けた音を出して授業をやっているのでは仕様がない。通信術実習は授業から抜いて自習させる様にすれば学業と両立できる。
- C・助教授
- 通信はどうあるべきか。明治年問にやっている事を未だにやっている。目ざめないのが不思議だ。また通信に伴う弊害が学生諸君にある。通信さえやっていれば学業の方は"可"でも就職が出来るといって努力しない。そういう所に本学のガンがある。これが学校の発展を妨げている。
- D・2T
- 確かに通信は本学のガンだ。特別に通信専攻を作る必要はない。皆工学か経営専攻に入って通信術実習は従属させれば良い。"通信術"のみに頼るのは悪い意味の技術屋である。これを直さねば技術者にはなれぬ。
- E・2年
- 本学に入ったのは通信の専門技術をやる為に来たが……。
- F・2年
- しかし大学の授業は昔のままでなく常に進歩するものだから通信はなくすべきだ。
- G・2T
- "叩く"ことが至上だと思いこんでいる人が多い。現在どこでも、もっと進歩した機械を運用している。船舶のレーダーや超短波に重点を置く事によって通信専攻は進歩するのではないか。
- H・4R
- 4年の後期からインフォーメイション・セオリイの講義がある。この時代に手送通信はもう時代遅れではないか、学校内部で講習所系の先生は今迄の通信を固守しようとするそうだ。通信術実習に追われ本当に勉強できる雰囲気がない。
- I・1年
- 通信専攻は就職しても先が見えている。工学と経営専攻だけにすべきだ。改革に躊躇すべきでない。
- J・助教授
- 通信専攻をつぶせという意見が多い様だが、現実の問題として手送通信がどの位、重きをなしているか。実際に機械通信は多く使われているが、東京・大阪間の様な大都市に於ても電信回線の60パーセントは電鍵操作を行っており、プリンターの回線の一部にも、打ち合わせは手送を用いている。これを無視する事は出来ない。実社会の要請はこの様な通信にある。
- I・2年
- 将来は潰れる運命にあるものならば、早く潰して改善した方が良いと思う。
- K・2R
- 君の「潰せ」というのは良くない。暴論ではないか。
- B・2R
- 私は「私は近代化せよ」というのだ。
- G・2T
- 時代の尖端を行く通信専攻の存在を要望する。
- D・2T
- この大学に入らなくても"一通"は取れるから、通信専攻をもっと学問的なものに改善して行く必要がある。
- B・2R
- 我々も、もっと新しい機器の運用を知らねばならない。
- H・2R
- 本学に手送装置はあるが新しい型のものはない。新型を全部入れるとすると3億円はかかるそうだ。
- A・2R
- "通信術"だけやっていれば卒業できるといって遊んでいる連中が通信には居る。
- J・助教授
- 手送通信ではテクニックが約1,000時間かかる。今は800余時間で随分少ない。3,000万円の設備を買えば、もっと少ない時間でよい。問題は金である。
- L・助教授
- お金がない以上、現状のまましか、仕方がないという意味ですか。
- J・助教授
- 機械化すれば大体半分の時間でマスターできます。
- H・4R
- 4年間勉強して"一通"の免状を取って他の事は何も出来ないという事は悲しむべきでないのか。
- C・助教授
- それでは他の無線学校と変りはない。
- M・2B
- "通信術"は世界的に衰退する。それに乗るより、それを克服する方向に向うのが本学の使命だ。
- L・助教授
- 大学という所は実社会の応用、学問とのかねあいよって方向を定めるべきだ。偏るのはよくない。
電気通信大学新聞〈1954年(昭和29年)2月11日発行〉26号に学生からの投書が載っている。
電波通信専攻のあり方について種々批判が行われている現在、当の専攻4年に籍をおくものとして自分の考えの一端でも示して批判の参考に供したい。
先ず通信専攻の根本的欠陥として、此度の就職状態に表われたものは陸上の勤務先を求めた場合、通信専攻の特色を生かしたものが殆んどない事である。勢い技術関係のみのメーカー、運用会社を工学、経営と同等の立場で争う事となるから合格する為には工学専攻と同様又はそれ以上の技術的知識が要求される。にも拘らず通信専攻は他専攻と殆んど同様な講義時間、内容の上に更に通信実習という負担を持ち、時間的にも、肉体的精神的にも非常なハンディキャップがある。即ち陸上に行こうとする者にとっては殆んど無駄な通信実習なり通信運用に大きな精力を割かれ(これらは何れも1類で必修同然の為、やらぬ訳には行かない)、他の授業内容でも船舶通信士向きの内容が多いことは、実に不利になってしまう。
次に電波工学のものと殆んど同じ時間数、同じ様な講義内容でありながら通信には「概要」なる文字が附されている事は、採用者側にとって甚だ悪い印象を与えている。一体どれだけの差があるのだろうか。
結局現在の通信専攻は船舶通信士の養成のみを主としており、陸上の諸会社等を希望する者は継子扱いにされている訳で、その人達には全く気の毒でもあり改革を要する問題である。ひるがえって船舶通信士に行こうとする者はというと、これが又甚だ惨めな状態にある。一通の資格はとれず、さりとて陸上に行きたくとも強制的に船舶に行かせる事になっているので軽卒に船舶実習に行って今となって後悔している者など泣くに泣けない有様である。
よく下級生で船に行くには只一通だけとれば良いのだから講義などどうでもよいと考えている人があるそうだが、これはとんでもない間違いである。生半かな遊び片々の勉強では決して一通の資格はとれるものではない。参考までに現在の受験結果を述べると一次合格者が21名、その中1科目のみ残っている者1名、2科目残っているもの3名、3科目残っているもの15名となっていて一次に落ちたものの殆んどは"通信術"の為のようである。
陸上勤務志願者は勿論、船舶勤務志願者でもトンツーだけ出来ればよい時代は過ぎ去った。
通信専攻がそれのみを目的としているのならば大学教育の必然性はなく、他の教育機関の存在で充分間に合う筈である。実際新しい通信方式の原理、機器の詳細、その改良に対する充分の知識がなければ今後の役に立たないのであるから、通信専攻の講義内容は当然それに応じて今の通信士養成一点張りの方向を改めて行かねば、早晩通信専攻の存在意義はなくなり無用の長物と化してしまうだろう。それには先ず通信実習の負担を軽減し1類の科目を再検討改組して技術関係を優位させるか、若しくは今の通信専攻を船舶通信専攻とし、電波工学を拡充して陸上関係はここに吸収させる必要があろう。
最後に通信専攻の学生は他専攻の学生に比べてその成績が見劣りするといわれているが決してそんな事はなく、前述のようなハンディキャップにも拘らず工学・経営と同時に受験して却って優れた成績を残していること(例えばラジオ東京のように二技についても通信の合格状況が最も良いこと等を述べておこう。
めぐろ同窓会誌34号〈1955年(昭和30年)9月1日発行〉座談会「電波通信と教育」中、出席者の一人小平敬氏(水洋会技術委員長・安立電気技術部長)は次のように語っている。
小平 私は水洋会を代表して参りましたので本来ならば、業者全体の意見をまとめて参るべきですが、意見を聞くことも時間的に出来ませんでしたものですから、私個人の意見になりまして、業者全体の意見とは必ずしも一致しないかもしれませんが……。
私のところの会社でも、この4月に学校の方から斡旋ねがいまして、採用試験をやったのであります。私の方では通信士の資格をもっている者を2人ほしいということで詮衡したのです。私自身はその場には出なかったのですが、詮衡に立ち会った者の意見を聞きましたら、こういうことを言っていました。私どもはやはり実地通信というものが、機械を作る上に、また試験をする上においても、相当大きな問題となるのですから、この実地通信にも相当興味をもち、通信士の資格のある者ということを条件にして採用することにしておったのですが、学生さんは実地通信を非常に軽く見る、おれは実地通信なんかやる気はないのだ、通信技術をやる方にいきたいのだ、という感じを受ける方が大部分だったというようなことを言っておりました。
電気通信大学になる前の卒業生の方も、大学になってからの卒業生の方も、大勢、製造業界に入っておられますが、そういう方が、営業なり、工事なり、メーカーのあらゆる面に活躍されておるのですが、そういう方は皆実地通信というものの経験なり、それに対するいろいろの考え方なりが、非常に役立ってそれぞれの面で非常に活躍されておると私は考えているのです。それが本年の卒業生の採用のときに受けた感じからは、通信というものを非常に軽視されておる。
同座談会中、電気通信大学通信系列主任教授片岡定吉氏は次のように語っている。
片岡 最近の学生の動向を見ておりますと、船舶通信というものに対する魅力を相当削減されておるのじゃないかと思うところがあるのです。最近の就職難時代に、希望者が非常に少ないということはまことにもったいない話でして、我々はもう入学当初から、いかに学生の気持を海上に向けるかということに相当腐心しておるわけです。
入学当時に海上を希望しておりながら、卒業時においてそれを中止するという学生の意向を大体調べてみますと、三つの原因があると思うのです。
その一つとしては、家庭の事情なんです。特に母親が海上生活に対して非常に認識不足なんですね。親爺は承知してくれたけれども、母親がどうしても陸上に勤めてほしいというような希望がありますので、それを考えなければいけないというのがその一つ。
それからもう一つの理由としては、海上における無線従事者の職場というものの将来性に対して、あまり明るい希望をもっていないようなんですね。もっとも、これは海上における無線従事者の歴史そのものが非常に浅いですから、海上から陸上に盛んに発展するというようなケースが比較的少なかった、そういうようなものがわざわいしているのじゃないかと考えられます。
もう一つの原因として考えられるのは、入学後1年を終わり、2年の初めに専攻を決定するわけなんですが、その当時には熱心に船舶を希望しておったのであるけれども、船舶通信へ進出するためには、授業の負担が他の専攻の者に比べてかなり多いのですね。それともう一つは、学校を卒業すればそれでオーケーというわけではなくて、卒業後において無線従事者の国家試験を通らなければいけない、あるいは海技従事者の国家試験を通らなければならないというような負担が非常に目立ってくるわけなんですね。それで4年になって卒業論文だとか、あるいは在学中の単位の整理だとかということで非常に多忙になってきたときに、国家試験を二つも受けなくちゃならないということになりますと、それらの負担に耐えかねるというような学生が見受けられるわけですね。このほかにいろいろ小さい原因としてはありましょうが、大体大きな原因としてはこの三つじゃないかと考えております。
同座談会中、電気通信大学経営系列主任教授天沢不二郎氏は次のように語っている。
天沢 無線従事者というのはいろいろございまして、船舶に乗り組むオペレーターだけになったら電通大学は必要ない。
無線従事者といってもオペレーターだけでなくて、エンジニアもいればマネージャーもいる。通信士が船に乗り組みましても、5年10年たつと、たいてい陸上に上ってマネージメントをやるということで、オペレーターとしてでない他の教育も必要だというようなことは、前から言われておった。
私は、船舶、陸上通信の二つが一つになりまして、通信経営というものができた事情はよく知らないのですけれども、あとで聞いてみますと、片岡先生がおっしやったような、需要関係と学生の希望との関係があったようでございます。
同じく、同座談会中、電気通信大学工学系列主任教授河野広輝氏は次のように語っている。
河野 大学で一生懸命教育しておりますね。その教育の主眼点からおよそ離れた検定というものが今別な要求から出ておるわけなんです。この検定というものの狙いと大学の教育方針というものは全く違うのですね。それで検定の方針が、実務側の要求とぴったりしているものならば、大学側から歩み寄るところがあると思うのですが、先ほどから伺っていると、実際側の要求として、同じ一級をもっておりながら、やはり素質の高い者がほしいとおっしゃっている
事実、これはやはり検定が実情に即してないということだと思うのです。それで、あんな試験ならばということで逆作用しているのじゃないかとさえ、私には極言かもしれませんが思えるのです。
一方、大学はどこが大学の特徴かといえば、教わったことだけがわかる者は、これは大学卒業生とは思えない。教わらないこともわかる人を養成したい、そういう観点からやっておるわけなんですから、これも先ほどからの実務側からの御要求とかけ離れているとは少しも思っておりません。ただ、今後どういうふうに数の上から調節したらいいかというところにずいぶん問題があると思うのですが、大筋としては、大学は別に脱線しているとは私には思えない。まあ我々の方でも大いに反省して、どうしたらばできるだろうかとせいぜい努力してみます。
めぐろ同窓会誌35号〈1956年(昭和31年)2月20日発行〉「大学よ何処へゆく」 ~通信士の出ない電通大を解剖する~ の特集記事をみると。
昭和28年に第1回卒業生を送りだしたのを契機として学内に、学制を再検討しようという意見が学長から提出され、専門委員会というものが設けられ、今日まで種々の論議が展開されている。再検討の対象は当初、学制全般にあると理解されていたが、その対象はやがて電波通信専攻のみとなって今日に至っている。その論議は要約すれば、
というようなものであった。
- 本学に無線従事者を教育する義務がある(註A)か、ない(註B)か。
- (註A)
- 本学の伝統、講習所の大学昇格への経緯、大学出の船舶通信士輩出に対する海運関係の会社ならびに卒業生の要請等から、大学として、それに応える社会的義務があるから。
- (註B)
- 大学は学問の場である以上、実務上の一国家試験合格を目標とした教育を行うべきでないから。
- 右に関連して特に、通信術において一級の速度に達するため現在数百時間を必要としているが、この時間の幾らかを通信工学を始めとする他のより重要な学課の授業にまわすべき(註C)か、否(註D)か。
- (註C)
- 一の(註A)にあげた所論で電通大卒業生に全面的に認定で免許を与えることになればその必要はないから。
- (註D)
- これ以上、時間を減らされたら一通のレベルまで持ってゆくことはできないから。学校認定のこともあるがそれは仮定であるから立論の根拠としない。
- 本学入学生の大部分が電波工学専攻希望であるが定員の関係上、2年目に不本意ながら通信専攻にまわされた学生は無線従事者になろうとする意欲に乏しいということから、初めから専攻別に入学させるべき(註E)か、否(註F)か。
- (註E)
- およそ教育の前提として意欲的な雰囲気ほど大事なものはない。そのためには初めから「無線従事者になりたい」というものを入学させねばならないから。
- (註F)
- 通信専攻入学希望者が少ないので、学生の質が落ちるから。
- 更に根本にさかのぼって現在の3専攻制が妥当であるか、否か。
一方これらの問題は、次のような事態を現出している。
- 電通大学生で無線従事者国家試験に合格する者が少ない。
- 従って船舶通信士になるものが少ない(これまでの通信専攻卒業生148名のうち船舶通信士となった者は内定-採用試験には合格したが国家試験に合格しないため-を含め39名で26パーセント)。
- 学生が精神的に動揺している。
前後するが、同特集記事6頁には「目黒会のうごき」として
昭和29年6月開催の本会理事会において田中英雄氏(大洋漁業)は次のように発言した。
「電通大から年間20~30名の一通を出すよう同窓会として大学と話合いをしてほしい」
29年7月の無線従事者規則聴聞会では本会は「国家試験制度審議委員会を設けよ」と主張し、次のように、電通大と通信士教育の関係について深堪な関心を表明した。
「電通大学生の無線従事者資格を取るものはまことに少ない。われわれは国家試験そのものに重大な欠陥があるのではないか、あるいは電通大の教育に欠陥があるのではないかという深い疑問から、取りあえず試験制度再検討のため関係各省および学識経験者をもって構成する審議会を設けることを切望する」
電気通信大学における電気通信術の授業の問題は当時はこのようなとらえ方をしていた。
その後、船舶職員法改正に伴う船舶通信士の定員削減により無線従事者の免許取得者の職場が狭くなったことが学生に反映して免許取得の意欲を失わせたことも否定できない。しかしながら電気通信学部及び短期大学部の電波通信学科では、その科目名も通信実技と改めて、その教育が連綿として継続されかなりの数の無線従事者を送り出してきた。この実績などにより昭和36年からは国家試験の一部が免除されることとなった。当時これほど蔑視の的となっていた電気通信術の授業が現在なお継続されていることについて、それを担当されている短期大学部の宮坂教授は次のように語っている。
モールス通信がなぜ続いているか、当時来日されたノーベルト・ウィーナー教授の言にもあるように「それが現在なお使われていることに意義があり、無用なものならばとうに無くなっている」からである。
あらゆる電波は国際的に管理されているのであるからモールス通信を日本だけが勝手にやめることはできない。電波通信は無線局の種別によって発射の種別と周波数帯を取り決めて整然と行うものであり、海上移動業務についてはモールス通信があらゆる面ですぐれているが故に設置が義務づけられているのである。このような重要な無線従事者教育の少くとも本学はその頂点にあるのであるから、本学の言動は特に慎重でなければならない。現在の時点で法的にもまた、技術的にもこれが衰退するきざしは全くなく、海運界における需要も回復しつつある。しかも免許取得者は海運界が無採用であった間に免許をいかした新しい職場に進出し、その職域を宇宙開発や海洋開発の分野にまで広げている。
なぜ国立大学にきてまでモールス通信をやらなければならないのか。それはその学生がプロを目指すからであって、専門家というものはモールス通信からコンピュータによるデータ伝送に至るまでのすべてをマスターする必要があるからである。また、世界の通信システムを世界的な場で討論できる人材を本学が養成する必要があるからである。その人達が、その討論の中で世界の通信システムを考えるとき、モールス通信の占める分野がなくなったと明確に悟ったときに、はじめてモールス通信に対して名誉ある幕の引き方を考えればよいのである。
社会の出来事 |
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3-2 専攻別入学制に
本学では、1953年(昭和28年)3月1日付で、電波通信専攻・電波工学専攻・通信経営専攻の名称で3専攻制が1959年(昭和34年)4月1日まで続いたが、1956年(昭和31年)4月3日に角川・谷村両教授による電子工学・有線工学・無線工学・経営工学の4専攻を新設し、その上で通信専攻を廃止し、通信士養成課程を設置しようとする案がでて、学内の通信系列の教官・学生の中からもいろいろと意見がでた。
1957年(昭和32年)1月25日発行の電気通信大学新聞(46号)に学生からの次のような投書が載っている。
学制改革の行方来年度の学生募集要項が先頃から頒布されている。先頃から問題の学内改革が如何なる形で表われてくるか大いに期待されていたが、本学の将来を思う学生の一人として疑問に思う点が2、3ある。
先ず学生選抜方法に就て、昨年度までのそれより専門科目に於て一層の類似接近がみられるにも拘らず、専攻別に採用するというところに疑問がある。従来の2年次専攻決定にも周知のような難点が多いが、此方法でも第2志望を認めているから、事実上は同じになるだろう。
それから、受験生が各専攻の内容について、募集要項の記事のみからそれほど理解できるか甚だ疑問であり、結果は現状以上に悪化するのではないか。入学当初から、学生の質の差が表われ、クラスの差が著しくなるのではないか。通常の大学工学部の一専攻でしかない本学部にそういう現象が著しくなることは面白くない。
次に、通信専攻が二分されたことには賛成だが、専門科目に於てその数が更に増加し(特に経営専攻に於て)、その結果、我々は末端的な小科目に追われることとなり、その講座を担当される教授としても、研究に対する余裕が少なくなり結局おざなりの内容に留まれるのが多くなるのではないか。これでは本学の目的に謳われている「独創的研究の分野も拓くこともできる応用的能力を展開させることにより学問の水準を高め、以て文化の進展に寄与する」こともできないだろう。
(2B・X生)
昭和32年3月、通信専攻は2コース、通信専攻A類(通信系、通信実習は必須)とB類(技術系)、に分けられ、しかも、従来の入学試験の一括入学とは正反対の専攻別の入学試験が行われた。
昭和32年度電気通信学部入学式が春の陽ざしもうららかな昭和32年4月15日朝、調布校舎階段教室において挙行された。
昭和32年度から施行された専攻別入学及び電波通信専攻分離の結果、新入学生は例年より約1クラス多く計172名である。この希望あふれる新入生に対して、寺沢学長は歓迎の言葉を送り、告辞の中で、大学の歴史的概観と目的、学問の自由と大学の自治、学習の態度、本学の目的と教科等について述べられた。続いて、学生部長博田教授のあいさつ、新入生署名等があって正午すぎ終了した。
例年になく、父兄の出席が目立ったが、これは東京出身者の漸増を示しているものと思われる。年々狭まりつつある入学の門を反映して、浪人組が73.8パーセントを占め、中でも1年浪人組が最も多く38.5パーセントを占めており、現役組、2年組、3年組と続いている。新入生の異色として、東京三輪田学園出身の田中(旧姓加藤)浩子さんが挙げられ、黒一色の伝統を破った紅一点として、本学の歴史に残るものと思われる。
社会の出来事 |
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3-3 大学別科の廃止
電気通信大学の大学別科は、無線電気通信に従事するのに必要な専門の学術技能を履修するものとする、と学則にうたわれていたが、1949年(昭和24年)に発足してから卒業生合計229名を出して1962年(昭和37年)3月31日に廃止された。
昭和24年 | 7月15日 | 別科第1回入学式を挙行した。 | (入学許可者15名) |
昭和25年 | 5月11日 | 別科第2回入学式を挙行した。 | (入学許可者30名) |
昭和26年 | 3月20日 | 別科第1回卒業式を挙行した。 | (卒業者9名) |
4月14日 | 別科第3回入学式を挙行した。 | (入学許可者17名) | |
昭和27年 | 3月20日 | 別科第2回卒業式を挙行した。 | (卒業者23名) |
4月15日 | 別科第4回入学式を挙行した。 | (入学許可者28名) | |
昭和28年 | 3月27日 | 別科第3回卒業式を挙行した。 | (卒業者12名) |
4月16日 | 別科第5回入学式を挙行した。 | (入学許可者28名) | |
昭和29年 | 3月20日 | 別科第4回卒業式を挙行した。 | (卒業者25名) |
4月17日 | 別科第6回入学式を挙行した。 | (入学許可者47名) | |
昭和30年 | 3月17日 | 別科第5回卒業式を挙行した。 | (卒業者19名) |
4月16日 | 別科第7回入学式を挙行した。 | (入学許可者44名) | |
昭和31年 | 3月17日 | 別科第6回卒業式を挙行した。 | (卒業者37名) |
4月16日 | 別科第8回入学式を挙行した。 | (入学許可者41名) | |
昭和32年 | 3月16日 | 別科第7回卒業式を挙行した。 | (卒業者37名) |
4月16日 | 別科第9回入学式を挙行した。 | (入学許可者45名) | |
10月23日 | 昭和33年以降別科の学生募集を中止することにした。 | ||
昭和33年 | 3月17日 | 別科第8回卒業式を挙行した。 | (卒業者33名) |
昭和34年 | 3月17日 | 別科第9回卒業式を挙行した。 | (卒業者34名) |
昭和37年 | 3月31日 | 別科(通信専修)を廃止した。 |
社会の出来事 |
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