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電気通信大学60年史

後編第3章 開学当時の電気通信大学

第5節 就職難時代の電通大生

新制大学第1回卒業生は入学時の混乱が卒業時にも続いた。というのは、入社試験が旧制大学最後の卒業生と同一条件下で行われたからだ。1953年(昭和28年)4月は不況という悪条件が重なって、入社試験は"地獄"といわれた時代だった。

12月15日発行の電気通信大学新聞25号を見ると次のような記事が載っている。

29年度卒業生の就職状況をみると国内、国際情勢が反映し今年の就職状況は全国的に昨年よりも一層困難になっているといわれているが、一流メーカー、公共企業体、官庁等の入社試験のほとんどが終った現在、本学の就職の動向を紹介してみよう。(数字は全て12月1日現在の調査による。注-29年度卒業生予定者)

電波工学専攻
在籍45名決定10名 内訳メーカー4、官庁2、公共企業体2、その他2
電波通信専攻
在籍63名決定3名 内訳・メーカー、公共企業体、船舶会社各1
通信経営専攻
在籍40名決定10名 内訳メーカー5、官庁3、公共企業体2

現在までに就職先の決定した者は右のようになっているが昨年の今頃の状況と比較してみると、今年の方が大部困難になってきているといえよう。その原因について学生側、教授等の意見を聞いてみると、某教授は「とにかく学生はより勉強が第一であり、分不相応な所はねらわぬこと、しかし卒業する頃までには大体決定すると思う」と語ったが学生は各専攻別により各々事情は異なるが学校当局、また社会全般に対しての不満が多いようだ。

現在までに最も不調である通信専攻は、最も有利な船舶関係の就職を望む学生が少なく、メ-カーその他陸上関係は、工学及び経営が優先されるだけでなく、専任教授その他の、本学が大学に昇格したときに一つの目的-過去に於て船舶通信士を独占していた講習所時代の伝統を守りながら、より幅の広い専門的な通信士を養成しよう-という視野のせまい方針によってはなはだしく不利になっている。また船舶会社を望む場合は一級通信士の国家試験を通ることが先決であり12月、1月の国家試験の結果船舶会社に決定するものの数は相当増加するものと思われる。これに対して通信科主任教授は「通信専攻の学生が国家試験を通りさえすれば船舶会社には充分就職出来る」と語っていた。しかし、学生は通信界の現状(海上・陸上を含めて)に対して、学校の教科内容・設備の後進性を不満とする声が高く、また就職について推薦状その他学校側のあっせんがあまりにも視野がせまいことを不服としている。

工学専攻に於て決定した主な就職先は、NEC、NHK、各民間放送局、明電舎、日本航空等であるが、推薦状の発行を成績等により決定したことに一部の不満の声があった。又学生は採否が個人的な縁故関係によって大きく作用されることをなげいている。「あらゆる機会を通じて、コネクションをつけておけ」と言った某学生の言にもあるように現在の社会状勢のもとでは、事実大きく影響していることは見逃し得ない。

経営専攻は今の所10名決定しているが近くまた4、5名決定するらしい。主なところは電々公社、JRC、6級職をもつ官庁関係その他であるが、学生は通信経営という特殊なる存在の、未だ確立されていない専攻で学んだ学問と実際との結びつきが出来ないことに大きな問題が残っている。

また、各専攻共通の問題として学校側で強く否定している実習と就職との結びつきということについては現実問題として相当に影響があり、就職の対策として学生の一部には学校当局に対して一考を要望している声がある。

1955年(昭和30年)3月20日発行の無線同窓会会誌32号に次のような記事が載っている。

デフレの荒波は世に「就職難どこ吹く風」と称される吾が大学にも押寄せ、就職情況はあまり芳ばしくありません。2月末現在の就職決定者は、電波通信専攻-卒業生63名中18名(船舶会社関係を除く)、電波工学専攻-卒業生40名中22名、通信経営専攻-卒業生32名中14名で就職先は主として公共企業体、官庁、メーカー、新聞通信社等といった状態です。例年ならば卒業後1、2ヶ月経った頃には殆んどどこかに決まるのですが……(中略)

電波通信専攻、通信別科の学生で船舶会社志望者は国家試験合格者が少ないので、求人は多くても仲々就職できない状態です。大体船舶会社希望の学生が非常に少ないのですが一…(中略)

本学で一級通信士の検定に合格したものは学部7名、別科1名という低率です。昨年9月に行われた一級通信士の国家試験では、全国の合格者が0.1パーセントだったのですが、その原因として出題の傾向が変ったこと、時間の割に問題の多過ぎたこと等が挙げられていますが、これについて「かりに従来の出題が適当でなく改善の必要があったとしても、出題傾向を一挙にしかも抜打ち的に変えた点にやはり問題が残るし、また採点に当たって適当に調整する余地もあったのではあるまいか」(電波監理審議会審理官柴橋国隆氏「むせん」63号34頁)という説が一般に行われている等から見て、試験施行当局にもこの責から免れ得ない点があるのではないかと思います。

又一方教育側、学生側についてもその責任がないとはいえません。教育側についてはせんじつめれば結局学生側として検定試験のあり方を批難するに恥じないだけの努力をしたかどうか、反省すべき点も多々あるのではありますまいか。

1956年(昭和31年)2月20日発行無線同窓会会誌35号に次のような記事が載っている。

本年1月1日現在就職決定者数は、電波通信専攻11名(卒業予定者数47名、括弧内以下同じ)、電波工学専攻28名(41名)、通信経営専攻9名(約33名)、別科1名(約42名)、短期大学部11名(約45名)で決定者は大体28パーセント強という状況で余り好調ではありません。

採用先
順不同
部科別就職決定者数 採用先
順不同
部科別就職決定者数
通信 工学 経営 別科 短大 通信 工学 経営 別科 短大
日本電気時計 1 電波監理局 2
三栄測器 1 警察庁 1
栗田工業 1 特許庁 1
日本電気文化工業 1 防衛庁 1
宮川製作所 1 1 建設省地理調査所 1
目黒電波測器 1 工業技術院 1 1
吉川電気 1 1 東大地震研究所 1
旭日電気 1 東大原子核研究所 1
大東通信機 1 東京鉄道管理局 1
日本電気 1 1 電々公社 1
産業技術研究所 1 日本郵船 1 1
古鷹無線 1 国際電気 2
丸山無線 1 芝浦機械 1
マイクロ電子研究所 1 松下電器 1 1
東芝電気 1 ビクター 2
進興通信工業 1 富士通信機 1
NHK 1 日立製作所 1
中部日本放送 1 日本通信産業 1
毎日新聞 1 八欧電機 1 1 2
共同通信 1 1 日本漁網船具 2
中部日本新聞 1 コロンビア 1

協立電波 2 1

東京通信工業 1
社会の出来事
  • 昭和26年10月1日 新聞、朝夕刊ワンセットに。これまでは朝、夕刊単売。
  • 昭和26年10月26日 衆議院、講和、安保両条約を承認、参議院は11月18日承認。
  • 昭和26年12月24日 「ラジオ東京」放送開始。
  • 昭和26年この年、名古屋からパチンコ流行、初めて結核が死因の2位に下がる、1位は脳いっ血。
  • 昭和27年1月19日 韓国李承晩ライン宣言。
  • 昭和27年1月23日 NHK、初の国会中継放送。
  • 昭和27年2月1日 NHK国際放送の実験放送開始。
  • 昭和27年2月19日 東京-台北間の写真伝送業務開始。