電気通信大学60年史
後編第2章 電気通信大学の発足
第3節 1期生の募集、入学は夏
3-1 募集状況
1949年(昭和24年)の受験生は大変だった。新制国立大学4年制のスタートは国会審議の遅れから4月よりも大幅に遅れ、しかも私立大学が例年どおり2月に入試を終え、4月から新学期を迎えていたのに新制国立大学は全国的に6月になって初めて入学試験を行った。
国立大学一本に絞る自信のない者は、すべて私立に走った。合格すると、いまと同じように大金の入学金が必要で、国立の入試が遅れたため、いったん私立に入学した学生が多かった。受験生がなぜ国立一本に絞れなかったか、それは入試の月おくれだけではなかった。
新制大学の受験生は、旧制の中学5年を終え、新制高校の3年に編入され、この新制高校3年を卒業した者だけではなかった。旧制中学より旧制高校や旧専門学校に入学している者も、新制大学を受験したからである。
大学発足当時は、前述の「第2節 発足時の3専攻と大学別科」にあるように、電気通信学部の中に「船舶通信」「陸上通信」「電波工学」の3専攻があるのみで、昭和24年は「東京大学」「東京工業大学」と並んで一期校だった。
無線同窓会報(昭和24年6月25日発行)によると、募集人員等は次のとおりである。
募集人員 学部 150名, 別科80名 試験日割 6月8日 午前10時~12時 外国語 午後1時~3時 理科 6月9日 午前10時~12時 数学 午後1時~2時 国語
試験終了次第身体検査を執行する。受験願書提出の締切は5月26日となっている。
競争率は国立は難しいとのうわさのためか"逆に少なかった"。電波工学が3倍強、陸上通信、船舶通信は定員すれすれで、旧制の無線電信講習所よりの転入者がかなりの数にのぼった。
この外に1次、2次の試験を通じて別科の試験も行われたが、合格者は約15名であった。
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3-2 入学生
1949年(昭和24年)の初夏に、戦災の焼跡が生々しい東京の目黒駅から徒歩5分の古ぼけた校舎で、電気通信大学の初めての入学式が行われた。入学式は普通4月と決まっているのに、大学第1回の入学式は、7月15日に行われた。
入学者は定員を大幅に割り、電波工学は定員50人中38名という有様だった。このため7月11日に2次試験が行われて、100人余が応募し、船舶通信、陸上通信、電波工学に合わせて136名が入学許可された。
第1回の入学生は、「3-1 募集状況」にもあるように、なんらかの都合で旧制高校や旧制専門学校の学生が受験して合格し、また、新制高校第1回卒業生や、無線電信講習所からの入学者も多数おり、いろいろな年令層の学生が入学したため混乱が続いた年でもあった。

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