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電気通信大学60年史

後編第1章 新制大学昇格への苦難の道

第2節 大学昇格への紆余曲折

2-1 逓信省の諮問

無線電信講習所に3年制本科が発足した年、1947年(昭和22年)8月13日、逓信省電波局長から、「無線通信士養成(または教育)問題」についての諮問が、当時の無線同窓会長あてに寄せられた。

社団法人無線同窓会長殿
逓信省電波局長

「無線通信士の養成について」

行政官庁法の施行により無線電信講習所官制も近く法律化の要を生じていますが、新憲法、教育基本法及び学校教育法等の関係を併せ考慮して、この際最も理想的な無線通信士養成制度を確立したいと思いますので、下記について貴見を御伺い致します。

(記)

我が国に於ける最も理想的な無線通信士養成制度は如何にあるべきか。

右の結論を成可く具体的且詳細に伺いたいのであるが、その資料として尚下の各号についても貴見を伺いたい。

  • 官営とすべきか、民営とすべきか。
  • 需要先別(海上要員、陸上要員等)に区別し別の機関で養成すべきか。一つの機関で綜合的に養成すべきか。
  • 学校教育法に規定する学制によって行うべきか、別個の学制によって行うべきか。前者によるとすれば如何なる学制を如何に適用すべきか、又後者によるとすれば如何なる学制を設くべきか。
  • 所管大臣を誰とすべきか。
  • その他本件結論を求める場合特に注意を必要とする事項。
    別冊1 無線電信講習所の概要其の他省略
    別冊2 逓信省所管と文部省所管の優劣……(逓信省の見解)……抜粋
    逓信省所管を可とする理由
    • 無線の保守及び運用に関する学術は極めて特殊性を持っているので、その教授には逓信省関係の専門技術者の適正配置が必要であること。(通信術の教授。無線通信法規。無線通信実践の内容と教授方法。無線通信機器の学理と運用。)
    • 無線通信士の養成を逓信省で行うことにより、基礎教育->現場(実地)->再教育の一貫した効果的教育体制が成立し得ること。
    • 無線通信士は広い意味では逓信省職員と認めることが可能であること。
    • 無線通信士の需給計画の樹立が容易であること。
    • 少くとも現段階に於いて、文部省等で教育を行うように切換えることは、無線通信士の質を確保する所以でないこと。
    逓信省所管を不可とする理由
    • 教育行政官庁の一元化、部外者養成という立場からは、逓信省で所管することは適当でないこと。

    文部省所管を可とする理由
    • 教育行政は文部省の所管であり、極めて特殊の理由がなければ例外を設くべきではない。
    • 逓信省職員でないから理論上文部省所管とすることが当然である。
    • 一般学制体制で教育することが、学歴等を考慮するとすれば文部省所管が無線通信士の将来にとって有利であること。
    文部省所管を不可とする理由
    • 無線に関する学術の持つ特殊性を最も効果的に教授することが出来ないこと。
    • 教育と資格検定とを別個に所管することは、特殊の職業教育という面から、人間無駄を来す恐れが多分にあること。
    • 精神的方面としては、逓信省が自家養成的立場に於いて教育する場合の熱意に劣る恐れが多分にあること。

右の諮問に対し宮入鎮無線同窓会副会長名を以って昭和22年9月次の通り回答した。

逓信省電波局長 網島 毅殿
社団法人無線同窓会副会長 宮入 鎮

昭和22年8月13日附をもって御来照の「無線通信士養成について」に対し左記の通り回答する。

(記)

吾国無線通信士は逓信省部門のそれと、船舶通信士を主体とする逓信省部外のそれとに大別できる。前者に対する養成制度については、われわれの関知するところではないから、本回答は後者にのみ関するものと諒解せられたい。

われわれは、無線通信士の養成制度を論ずるには先ずそれが「教育」(Education)であるべきか、単なる「養成」(Training)で事足りるかを決定する必要のあることを認め、8月17日招集の社団法人無線同窓会総会終了後、多数陸上・海上通信士出席の席上でこの問題を慎重に審議検討した。その結果全員一致われわれ無線通信士の養成は「教育」でなければならぬとの意見に到達した。

従ってわれわれは所管省の如何に不拘、無線通信士が単なる養成機関に於いて養成されることに反対である旨、ここに明らかに表明する。

次いでわれわれは同席上で、貴官から提示された諮問事項の各項について、長時間熱心に研究討議した。その結果に基いて、左記委員及び幹事を選出して回答文を起草することとなった。

委員 船舶運営会 船舶通信係長 橋本 清
 同 海務部海務課員 白石 貞一
 同 配乗第1課員 田中 英雄
 同 配乗第3課員 田中 明日治
 同 無線通信士 香西 昭
毎日新聞社電信部長 別所 重雄
参議院議員 小林 勝馬
無線会館理事長 宮入 鎮
社団法人水産無電協会参事 小林 祥延
中央無線電信講習所教官 大岡 茂
横浜港無線電信取扱所主任 山田 英雄
中央気象台無線課長 風間 勝司
社団法人日本放送協会技師 田沢 新
全日本海員組合調査部長 大内 義夫
幹事 中央無線電信講習所教官 堀 節夫
船舶運営会無線通信士 染川 弘明

8月20日前記委員が合同して更に討議を重ね次の結論を得た。

  • 官営とすべきか、民営とすべきか。

    われわれは官営となすべきを至当と認める。民営では経済上存立が困難であり、我国の現状に於いては社会の評価が官立を最高としているからである。然し官営にも幾多の弊害があるから、斯界の有識経験者で構成する教育委員会を持ち、之を教育行政の諮問機関として民主的に運営されることを希望する。

  • 需要先別(海上要員・陸上要員)に区別し別の機関で養成すべきか、一つの機関で綜合的に養成すべきか。

    われわれは、船舶通信士教育の一機関のみの存続を主張する。

    最近の卒業生の就職状況をみるに、陸上要員は主として逓信省部内(例えば電波観測所の如き)である。而して之等は高等逓信講習所卒業者で充足される筈である。

    他の就職先例えば港務部無線(近き将来の保安庁無線)の如きは、船舶通信士養成機関の卒業生でよい。寧ろこの方が適当である。少数の製作会社等の就職者は、船舶通信経験者であることが寧ろ望ましい。過去の卒業生のこの方面に於ける成功は、船舶通信士として得た経験とセンスによるものである。伝統を無視してはならない。又特に必要あれば別科を併設してもよいと考える。漁船通信士に対しては特科を併設すれば事足りる。

  • 学校教育法に規定する学制によって行うべきか、別個の学制によって行うべきか。

    前者によるとすれば、如何なる学制を如何に適用すべきか。又後者によるとすれば、如何なる学制を設くべきか。われわれは当然教育基本法に準拠すべきであると考える。例外法の制定は、特に社会が認める特別の理由のある場合の外はなすべきでない。

    逓信省のいう、「逓信省所管を可とする理由」及び「他省所管を不可とする理由」の主要なる事項を要約すれば、

    • 無線の保守運用の特殊性。
    • 逓信省以外から必要なる教官の得難きこと。
    • 無線通信士の需給関係の不適正となる恐れのあること。
    • 教育と資格検定の所管を異にすることの不利等。

    となるが、われわれはこの考え方に承服することができない。

    各項につき簡単に反駁すれば、

    • の特殊性が真実なれば、農業・水産業関係諸学校は農林省所管、電気工学関係諸学校は商工省所管、電気通信関係諸学校は逓信省所管、法律関係諸学校は司法省所管としなければならぬ。無線通信のみ特に特殊とする理由をわれわれは理解し得ない。
    • に対しては、独善的考え方と云わざるを得ない。例えば電気通信術をわれわれ卒業生が教授し得ないと云うのであろうか。又他の学科についても逓信省官吏のみよく成し得ると云う考え方に対しては、われわれは肯定に苦しむ処である。
    • と4.は、官庁間のセクショナリズムを清算すれば自ら解決する問題である。逓信省は斯るセクショナリズムの残滓を守ろうとするのであろうか。われわれは寧ろ逓信省が、われわれの為に他省と積極的に協力して呉れることを切に望むものである。尚、念の為に次のことを附け加えて置きたい。船舶通信士の需給関係は(将来に於いて逓信省外の通信士の大部分は、船舶通信士となるであろう)、逓信省の云う如く逓信省のみに於いてなし得ないこと、及び教育と資格検定の所管省の異るのが寧ろ普通であること(医者、獣医、弁護士、計理士、弁理士、電気事業主任技術者、電気通信事業主任技術者等皆然りである)を考えて貰いたい。
  • 所管大臣を誰とすべきか。

    われわれは所管大臣の誰であるかを問題としない。社会的に最も公正なる立場から、われわれの幸福を充分に考慮して国家が之を決めればよいのである。官庁間のセクショナリズムの為、夫が歪められないことを望む。教育基本法が国家的見地から是認せられているなら当然それに従うべきである。但し、われわれは従来から無線電信講習所は、船舶無線通信士教育が主目的でなければならぬこと、而して船舶通信士は海員教育の枠内に於いて教育せらるべきことを主張して来た。この立場から海員教育が海運総局に於いて所管することの妥当性が社会から完全に認められる限りに於いて、無線通信士教育の所管大臣が、運輸大臣であっても差支えのないものと認める。

  • 其の他。
    • 所管の変更の生ずる場合、在校生の処置につき充分に考慮せられたい。夫々の希望に応じて高等逓信講習所、工業専門学校、或は本然の姿にかえって再出発する無線電信講習所に収容するの処置を講ぜられたい。
    • われわれは、無線電信講習所を商船学校(高等)の通信科(又は通信主計科)として合併することを必ずしも希望して居らぬことを附け加えて置く。われわれは、商船航海学校、商船機関学校、商船通信(又は通信主計)学校として、3者併立することを第1希望としている。
    • われわれは、航海長、機関長、通信長の3者が協力して商船の運航に当り、又終局に於いて大体同等の待遇が与えられるべきことを希望している。又航海用電波器械の運用、又は保守につきその責に任じ、或いは航海士と協力することを辞さない。

      再出発する無線電信講習所の教授内容は、この通信士の切なる希望を盛ったものでなければならぬ。

    • 諮問(ロ)の項については、一部少数意見として次のようなものがあった。
    • 6・3・3迄は区別せずに文部省で教育し、後の3を需要先別に教育し、残りの2を大学院制度として専門教育する。
    • 海上と陸上は最初から区別して、教育基本法に基づいて教育し夫々大学とする。

以上の通り答申する。

但しわれわれは、この答申が単なる答申として終ることを希望せぬ。逓信省、文部省、海運総局、民間有識者、海員組合及び卒業生から成る権威ある委員会を構成して、此の問題を充分に審議し、その決議を実行に移すようにせられんことを切に望んでいる。

社会の出来事
  • 昭和21年1月1日 天皇陛下神格化を否定する人間宣言。
  • 昭和21年1月13日 煙草ピース7円で日曜、祭日に発売。
  • 昭和21年1月19日 ラジオ素人のど自慢を始める。
  • 昭和21年2月17日 旧円封鎖、新円発行。
  • 昭和21年2月28日 米映画配給のセントラル映画会社を設立、
    輸入第一作「キューリー夫人」「春の序曲」封切り、入場料10円。
  • 昭和21年4月10日 戦後初の第22回衆院選挙で婦人議員39人当選。
  • 昭和21年4月27日 プロ野球公式戦、8チーム参加し、復活。
    (昭和19年11月13日中止以来)

2-2 同窓会の活躍

これで当時の無線同窓会がわが無線電信講習所の将来について真剣に模索し、苦慮したかの一端を伺い知ることが出来る。同窓会としては、依然船舶通信士の養成を主眼として来た講習所本来の姿に固執し、新しく発足した新制本科制が、通信技術に加えて電子技術をも科目として採り入れ、幅広い無線通信の分野への飛躍をねらった講習所当局の意向と異なった主張を開陳したのである。

同窓会誌によれば「わが無線電信講習所の帰属は、吾々卒業生並びに在学生にとって正に死活問題である。何人も傍観してはならない。勇敢に正しいと信ずる考えを発表しよう。長いものには巻かれよう主義が今日の我国の不幸をもたらしたのである」とある。

卒業生馬渕郁次郎氏は、同窓会報〈1947年(昭和22年)8月10日発行〉で更に次のように述べている。

「大戦によって消耗し尽し、曾って見ざる惨憺たる状況を呈する我海運界が、再建への茨の道を進まんとするに当って、逞しき意志と優れたる技術を有する優秀海員の獲得を要するのは当然のことである。それ故に海員の再教育、上級教育機関設置、配置転換等既に具体化した一連の政策と共に、今後新たに養成され海に送り出される者の教育について真剣な討議の下に、新しい構想が考えられなければならない。そして船舶通信士に関して、問題は一層切実である。即ち、戦時中当面の急に応ずる為、イージーゴーイングな方法によって海に放り出された多数の通信士の再教育、配置転換と同時に、今後生まれる船舶通信士の教育制度問題こそ、船舶通信士、無線通信士全般の社会的地位向上への前進と解決の重要なるキーであると考える。

斯る見地より、無線電信講習所の制度について一私見を提供したいと思う。

速やかに講習所は従来の中途半端な逓信省管轄職業教育機関より脱却し、文部省にて管せられる専門学校として新発足すべきである。母校が専門学校でないために、吾々通信士が如何に不利な立場に置かれたか。勿論専門学校になっただけで総てが解決せられるとは思わない。肝要なことは船舶通信士が有能の士であると同時に、優れた海員であらねばならぬことであり、そのような人物を育成するには如何なる教育が採られねばならぬかと云うことである。

では之について検討して見よう。

先ず私は船舶通信士の近き将来の性格に、多分に電気通信技術者的なものを盛らねばならぬと思い、その線に沿う教育に大きな力が注がれる事を望んで止まない。何故なら船舶に於いて無線通信機器に加えて、電測機器の航海技術への応用は火を見るより明らかであり(電波科学の応用は航海術に革命的変貌を与え得る)、其の使用は船舶通信士によって絶対に確保せねばならぬ活動部門であることを想い、そのに今より強い手が打たれねばならないと思うが故である。

此の事への透徹せる洞察を欠き、適当なる手を打つにあらざれば、船舶通信士の前途は絶対に浮かばれないものとなるのではなかろうか。反対に、今打たれる手が実を結ぶ時こそは、船舶通信士の活動範囲の拡大と船舶運航への直接の寄与のために、船舶通信士にとっての渋滞せる懸案に明快なる解決を与え得るであろう。

次に残される問題は海員としての教育である。将来船舶に活躍するものとして、海洋、航海と船舶に関する主要なる専門知識を有せしめる為の学科、講座の選択は、過去の経験と新しい理想の下に十分な検討がなされ、又自然的にも、それ以外にも、特殊の条件の数多い船内生活に順応するに必要な指導が与えられ、更に重要なことは船を愛し海を愛する精神の涵養(先輩派遣講師制度は大いに価値あり)に、大なる思慮が払われなければならない。併し乍ら、海員としての教育を過大視して、所謂商船学校式教育の追随の要を認めない。寧ろ独自の立場を持し、最善最良の道が採られれば良いと思う。

最後に、船舶通信士の意志の十分に反映せる、最良・最善の方法に於いて、速やかに新制度が実施せられることを望んで筆を止める。 (1947・7・5)」

戦前大半の船舶無線通信士を養成し、またその教育を目的としてきた無線電信講習所が、新制度を発足させ「海上への通信士のみの養成機関ではない」と表明したことに、しからば如何にして今後の船舶通信士が養成されるのかと、船を愛し海を友として、一生涯を海に捧げた先輩の後を継ぐ後輩をここで無くしてしまうのかと、前途は暗澹であると嘆いた諸先輩がいたのも事実である。

一方、同じころ同窓会関係者が、食、住に事欠くことにも難渋せず、自発的に幾度か集い、無線講の将来のあり方について協議している。更に、幅広い分野の職場からも諸先輩がこれに参画した。協議の焦点となったのは、

  • 高等商船学校が文部省へ移管する際大学に昇格。その時、航海科、機関科、通信科として組み込まれ、商船士官としての本格的教育機関とするか。
  • 講習所の教育施設は単科大学にふさわしい充実さにある。将来の通信工学のメッカとして、単科大学への道を探るか。
  • 大学になった場合、無線電信講習所としての、同窓会、会員の存続は。コンパスマークと制服は。先輩・後輩(大学制となった後の卒業生)とのつながりは。

であった。

社会の出来事
  • 昭和21年5月1日 第17回メーデー、11年ぶりに復活。(昭和10年5月1日中止以来)
  • 昭和21年5月3日 極東国際軍事裁判、市ケ谷の旧陸軍省で開廷。

2-3 商船大学との合併構想

大学昇格への苦難の道は、だがまだまだ続くのである。講習所教官として、また大先輩の一人として、これにつぶさに身をもって当たられた大岡茂氏は、通信士教育問題について1947年(昭和22年)10月4日、明解にご自分の意見を述べられている。

「吾々はどうなるか」

私の聞いた所では、逓信省(電波局と云う方が正しいかも知れません.)は、吾々通信士を高等学校 (注6・3・3制での)程度で教育しようとしているもののようです。即ち、

  • 二級通信士は、6・3・3制の高等学校(3年又は4年の)で養成する。
  • 一級通信士は、前項に1年追加して、矢張り高等学校で養成する。

此の案が不幸にして実現したら、(或いは吾々同窓が此の案を阻止し得なかったら)、どういうことになるか、考えるだけで心が冷たくなります。紙面の余裕がないので、船舶通信士だけに就いて言いますが、海員教育審議会の最後案では、6・3・3制の高等学校で、操機手、操舵手等の普通海員を養成することになっているそうです。航海士、機関士は、6・3・3・4制の大学(併も大学院を併置する)で養成することに確定しているとのことです。そうすると、吾々通信士はどういう地位を占めることになるか考えて見て下さい。

吾々通信士の親だと自称する電波局が、吾々通信士を奈落の底へ蹴落す案の実現に努力しているなんて、想像外のことでした。海員教育審議会に提案された種々な案を見せて貰ったことがありますが、高等商船学校の一科として通信科を設ける案はありましたが、普通商船学校に通信科を併置する案はありませんでした。電波局の云う、他人の海運総局でさへ、吾々通信士の立場を尊重して呉れています。それなのに(ああそれなのにと云いたくなります)、電波局は実に非道いことを考えて呉れたものです。吾々目黒出の通信士は、電波局の実子ではなく継子だと僻みたくなります。

電波局は、通信士の資格検定試験の程度が、高等学校で十分だと言うのです。船長、機関長の試験の程度もそう高くないことを知らぬのでしょう。高等商船学校は、検定試験なんてそんなものを眼中に置かず、日本の海運の理想に向って高度の教育をしています。通信士も航海士や機関士と同じ立場を主張してどうして悪いのでしょう?トンツーだけでは成程大学に値しないかも知れません。

どうして通信士に高い教養と、船舶通信士には海運業務を、或いは航海保安用電波通信を、陸上通信士にはより高い運用技術を附加しようと考えないのですか。航海士が唯単に船を動かすだけなら(航海術と運用術を習得するだけなら)、そんなに高い教育を必要としないでしょう。併し航海士はそれだけでは済まないのです。通信士も同様です。

通信士をトンツー屋だと考えるのが抑々恐るべき認識不足です。その恐るべき認識不足の根元が、吾々の親だと自称する電波局(恐らくはその一部の吏僚に過ぎないのでしょうが)なのですから、こんな悲しむべきことはありません。

私がここに書いた電波局案が事実無根であって、つまらないことをデマったと、電波局からお叱りを受けることを期待して(そうならば此の上の喜びはありません)此の文を書きました。

(追記)
  • 参考迄に学校教育法の抜葦を掲載しておきます。(省略)
  • 私は、船舶通信士は、漁船通信士(現在の二級程度に引き上げる)と、商船通信士(一級通信士。場合により之に主計長、主計士を兼任させる)の二本建でよいと考えています。そして前者を大学別科(2年)で教育し、後者を4年制の大学で教育すべきだと考えています。

    陸上通信士には技術教育に力を入れて一級は大学4年。二級の必要があれば大学別科2年又は3年が適当(なる可くは二級を養成せざること)だと思っています。

電波局案の高等学校に甘んずるか。大学昇格への前途は必ずしも楽観を許さず、場合によっては卒業生大会、更には生徒大会を開いてでも、局面の打開を図り、不合理を是正、理想の達成にいっそうの努力が結集されることとなった。宮入無線同窓会会長をはじめとして、在京の関係者の電波局、運輸省海運総局その他関係筋に対し種々折衝が断続的に続けられた。電波局の、無線通信士の教育を新制の大学制にする理論的根拠が見出せない、またその必要も認められない、新制高校卒業者、またはその卒業生に1・2年の専門教育を施せば事足りるとの考え方に、絶対反対の立場が貫かれた。

社会の出来事
  • 昭和21年5月19日 宮城前で飯米獲得人民大会。(米よこせメーディ)
  • 昭和21年8月1日 警官のサーベル廃止。開きん背広に警棒、短銃をもつ.
  • 昭和21年11月3日 新憲法公布。(昭和22年5月3日施行)

2-4 逓信大学構想

遂に1947年(昭和22年)11月21日にいたり、さきの電波局諮問に対する無線同窓会の意見を体し、 逓信省の腹案なるものが示された。新制大学への飛躍が果たされる第一歩が、非公式ながらもここに印されたのである。

通信士教育については一応の結論を得たので、非公式に発表して意見を聞きたい。
  • 無線通信士の教育は、従来考えていた高等学校制を止めて、新制大学3年又は4年制としたい。 本科(3年又は4年)は一級、別科(1年又は2年)は二級とし、各種学校(新制中学、 卒業後1年又は2年)は三級としたい。 しかしいずれもその級の国家試験を受けられる実力を持たす事を目標とするので、 卒業と同時に資格を附与する事はしない方針である。
  • 所管は、文部省又は運輸省もやる自信がないようだし相当の難点もあるので、結局逓信・文部両省の共管となろう。すなわち、教育(教授内容、卒業資格、教官人事問題等)については文部省の指示を受け、経営は逓信省としたい。
  • 海員大学との関連及び船員としての特殊専門教育については、
    • 通信大学(仮称。単科大学)に特別科、すなわち船舶科、陸上科(仮称)等を設囲し、1ヶ年程専門教育する
    • 通信単科大学卒業者を海員大学専科又は大学院に入学せしめ、船員として専門教育をする。
    • 通信大学にて海陸に分けて、全課程をとおして専門教育を十分加味する。
    以上の三つの方法があるが、これの具体的方法はまだ決めていない。
  • 逓信省としては、船舶通信士が船員教育の一環として逓信省から抜けるなら、陸上通信士の教育については再考慮をする必要がある。
  • まず船舶通信士がどこでどういうように教育される事を望んでいるか、早急に決めてもらいたい。

これと並行して運輸省海運総局の船員教育委員会(昭和21年春発足)でも、船舶通信士の教育問題について討議に入った。 かかる新情勢に対処するため、無線同窓会の活躍がなお続けられた。 教育機関の管理の問題は重大であり、同窓会として態度を鮮明にし活発に運動を展開する段階に到達したとの認識の下、昭和22年11月19日、同窓会懇談会において次のような決議を行った。

  • 電波局諮問への回答を再確認し、その実現に向かって猛運動を展開すること。
  • 学校教育法第1条による、6・3・3・4の学制を中心とすること。
  • 船員教育の一環として、商船大学にて行うこと。
  • 陸上通信士のため、現在の講習所を中心とした逓信大学の実現を期すること。
  • この運動は同窓会が主体となり行動すること。
  • 官庁機構が微妙で管理問題の決定は容易ではないが、民主主義確立運動の一つとして、断固たる決意を以って解決せねばならぬこと。
  • 行動を敏速活発にするために、実行委員を選出して強力に実行に移すこと。

上の基本方針を明らかにし、12月5日同窓会理事会はこれを確認した、と同時に左記の実行委員会を正式に決定した。

委員長 橋本 清 (船舶運営会)
委員 大内 義夫 (全日本海員組合)
山科 二郎 (無線会館)
井沢 義一 (無線会館)
宮入 鎮 (無線同窓会)
大出 孝 (無線同窓会)
白石 貞一 (船舶運営会)
芦沢 喜代己 (船舶運営会)
田中 明日治 (船舶運営会)
藤倉 衛 (船舶運営会)
菊地 敬信 (船舶運営会)
幹事長 白石 貞一 (船舶運営会)
幹事 松井 寅男 (船舶運営会)
野沢 明一 (船舶運営会)
鈴木 作次 (船舶運営会)

一方、12月5日運輸省海運総局の教育委員会小委員会で、次のような小委員会案が無線同窓会の意見を基にして決定された。

  • 方針
    • 学校教育法による、いわゆる6・3・3・4制を中心とする学校制度を採用する。
    • 無線通信士であると同時に、船員となるための専門の教育を施す。
    • 船舶無線通信士またはこれになりたい者のために再教育または通信教育機関を設ける。
  • 高等学校 略
  • 大学(船舶無線通信科)
    • 目的

      この大学は、学術の中心として広く知識を授けるとともに、深く専門学芸を教授研究し、 知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とし、甲種船舶無線通信士(一級)程度の能力を与えることを目的とする。
      <注、前第2項高等学校において乙種(二級)丙種(三級)船舶無線通信士を養成>

    • 国立大学とする。
    • 修業年限
        本科  4年(船舶による実験実習6ヶ月を含む)
        専攻科 1年
        別科  2年

      専攻科は大学を卒業した者に対して、精深な程度において特別事項を教授し、その研究を指導することを目的とする。

      別科は乙種船舶無線通信士(二級)の資格を有する者に対して、簡易な程度において特別技能教育を施すことを目的とし、 甲種船舶無線通信士(一級)程度の能力を与えることを目標とする。

      本科の初めの3年は全寮制度をとる。船舶による実験実習は、練習船において行うことを原則とする。

    • 学科並びに教授時数 略
    • 通信教育部

      船舶無線通信士に対して、大学程度の一般教育及び専門教育を行う目的をもって、通信教育部を大学に併置する。

この案で、学制については航海士、機関士とほとんど同じものとなった。 昭和22年12月8日、無線同窓会委員は、11月21日の電波局長からの諮問に回答するため、電波局を訪問。

同窓会としては、

船舶通信士の教育は、船員教育の一環として運輸省管理を希望する
旨、

事情を詳しく述べてその協力方を要望したが局側は、全逓信従業組合から無線電信講習所と逓信官吏練習所を合併した「逓信大学」の設置、及びこれを逓信省で管理するとの要求が寄せられているので、 これから種々研究したいとし、具体的話し合いにはいたらなかった。 この日無線同窓会は正式にその管理問題についての態度を表明した訳である。 また、運輸省海運総局船員教育委員会小委員会案の討議は、船員教育の学制改革自体が結綸を見ないままに延引されていた。 ここで同窓会は同じ日、12月8日、各方面へいっそう幅広く運動を展開推進するため、左記のような陳情書を作製配布、 歎願をしたのである。

陳情書送附先
(正書) (写)
運輸大臣 海運総局長官、船員局長、同局教育課長、船員教育課長
逓信大臣 電波局長、同局監理課長、中央無線電信講習所長、全逓委員長
船舶運営会理事長
全日本海員組合長 教育文化部長、船員教育委員
衆議院教育委員会長 同委員
参議院教育委員会長 同委員
文部大臣 学校教育局長
陳情書
社団法人無線同窓会会長  宮入 鎮

船舶無線通信士教育について

敗戦後の民主日本建設の新事態に即応し、新憲法の制定を見、又この新憲法の精神に則って、 さきに制定せられた教育基本法によって、民主的、文化的、平和的な国家及び社会の形成者として自主的精神に充ちた、 身心共に健康な国民の育成を期している。

 (中略)

この事は、船舶通信士の甚々不満とする処であったが、船員教育委員会は11月24日、 船舶通信士教育問題に就き小委員会を設けてこの問題を審議されたことは、全船舶通信士の喜びとする処である。 船舶通信士の教育機関の管理問題(所管大臣をどこにすべきか)と学制問題は、 船舶通信士を主体的会員に持つ本会としては実に多年の懸案であった。

現在官立として逓信省の管理下に教育がなされているが、その前身は電信協会が経営し、 船主の要望とその寄附金等によって船舶通信士が養成されていたのであった。 通信士多年の要望と、戦争要員として多量に養成する必要から、昭和17年官立となり、 無線通信士の要求に応じて、船舶向、航空向、陸上向の夫々の通信士が養成せられたのである。

而して、敗戦後海運の壊滅によって船舶向けの需要が殆んどない為に、 現在では殆んど陸上向となり、船舶通信士としての特殊教育は甚々薄らいでいる。 船舶通信士は先づ船員であらねばならぬと言う自覚は数十年に亘って徐々に培はれて来たのであるが、 戦争を通じて船舶無線通信の重要性が認識せられ、昭和19年改訂された船舶職員法により船舶職員となった船舶無線通信士は、 先づ船員であるべきだとの自覚が急激に倍加された感がある。

本年8月17日本会の総会に於て逓信省電波局長の「無線通信士養成について」の諮問に対する審議に際して、 満場一致を以て別紙のやうな結論が出たのを見ても船舶通信士が、 船員教育の一環として航海士、機関士と共に同一機関に於て教育されることを如何に熱望しているか充分うかがえるであらう。 次に項目に分けて我々の意図する所を記したい。

  1. 学校教育法第1条に規程する学制いはゆる6・3・3・4制を中心とする学校制度によって教育せられるべきである。
    附記 漁船を除く船舶には無線通信士第一級及第二級のみとして第三級は除きたい。従ってここでは第一級及第二級について述べた。
    理由
    • 現行中学校卒業者に3ヶ年の専門教育を施している。 これに船員としての特殊教育を加味すれば専門教育課程はさらに延長する必要があろう。
    • 電波科学の進歩発展に伴ひ無線通信士には従来より相当高程度の知能と技術を要求して居り、国家試験の程度も高くなろうとしている。
  2. 船員教育の一環として航海士、機関士と共に一元的教育機関に於て教育せらるぺきである。
    理由
    • 船舶通信士は陸上勤務の通信士とはその職務内容も船員としての特殊性があり、 機器運用の面に於ても技術的の特殊性をもっている。
    • 船員として且船舶職員として又一部門の責任者としての重要要員である以上、 他の船舶職員と同一の機関で教育する事が最も理想的である。
    • 別個の教育機関で行へば職場が同一であり乍ら、相互の職務内容の不理解及精神的融合の不充分を来し、 船の能率を充分に発揮する事が出来ぬであらう。
社会の出来事
  • 昭和21年11月16日 当用漢字1,800字と現代かなづかい、政府が告示。
  • 昭和21年12月21日 近畿・四国に大地震(南海大地震)、死者1,330人、全半壊2万戸。
  • 昭和21年 流行歌「東京の花売り娘」「泣くな小鳩よ」、 ベストセラー尾崎秀実「愛情はふる星の如く」、バンデベルデ「完全なる結婚」、 発疹チフス、天然痘、コレラなど悪疫広まり、家庭では電熱器が必需品に。
  • 昭和22年1月31日 マ元帥、2・1ストの中止を指令
  • 昭和22年4月1日 6・3制の小中学校発足。 隣組、町内会などを廃止

2-5 GHQの廃止勧告

同窓会(卒業生)、在校生を含めての講習所当局の、新制大学の産声を多くの難問を抱えながらも1日も早く聞こうとする努力は涙ぐましいものがあった。すべてが民主主義の名の下に新しく改革されなければならないのはもちろんのことであったが、大きく立ちはだかるもの、GHQがあった。何事であれGHQの意向がすべてに優先されねばならなかったのである。

第1回のわが無線電信講習所廃止のGHQ勧告は、1947年(昭和22年)10月逓信省にもたらされた。ついで1948年(昭和23年)2月にいたり、逓信省はGHQから「講習所を廃止すべし」との強力なる意志表示を受け、直ちに電波局長と同窓会長の会談が持たれその対策が練られた。占領軍の民主化方針に基づいて、日本の教育制度は根本的に変革されて、教育のいっさいは文部省の所管するところが至当であるというのである。これはまず主として逓信部内の職員の養成期関であった逓信官吏練習所に向けられたもので、同所は卒業生も多く、また部内の相当の地位についている人も多かっただけに風当たりが強く、とうとう抗しきれずGHQの指令に従って官練は遂に廃止となったのであるが、それに伴って無線電信講習所も養成機関であるとして、廃止の強い勧告が出された。

2月27日に開催された海運総局船員教育委員会小委員会での席上、逓信省電波局の某責任者は次のように言明した。

  • 逓信機構改革に関するGHQの指令の中に、官吏練習所は解体廃止すること、無線電信講習所は廃止せよとあったが、講習所についてはその存続を申し入れた。それについての諾否の返答はなかった。
  • 電波局としての来年度(24年度)予算は、よって次の理由で却下された。
    • すべての教育は文部省でやるべきで、各省でやるべきでない。殊に現業官庁でやるべきでない。ただし、その省の職員で特殊の事情があり、どうしてもその省でやらなければならないと認められる、ごく限られたものだけは認める方針である。
    • 無線通信士の教育は、この特例のものとは認められないから当然文部省が行うべきである。
  • 無線電信講習所は文部省に移管されることはほとんど確実で、目下文部・逓信両省で折衝中であり、次のようになりそうである。
    • 国立学校にすることについて両者の意見は一致している。
    • 文部省は、新制高等学校として、専攻科を2年ないし3年としたい意向。
    • 国立高等学校は他に例もなく、単独では相当難しいので、国立大学の附属高校も考えている。
  • どこの省がやるにせよ、22年夏の世界通信会議の内容を研究し通信士の国家試験の程度を決めて、教科内容の基準もその面から示したい。

ここで文部省への移管が初めて胎動したのである。

ついで、3月に入り文部省は講習所の実地見学を行った。この視察の結果、文部省は次のように見解を示した。

  • 旧制度による専門学校に相当するものであることは認められる。しかしそれを新制度のどの学制にあてはまるかは直ちに決定できない。
  • 講習所の現状から見て、新制大学設置基準に不足している点は設備の不足である。応用面では十分と思われるが、基礎方面の設備が不足している。

そして更に文部・逓信両省の間に移管についての覚書が、次のように取り交わされた。

  • 法制上の措置、即ち無線電信講習所官制は文部省が提出すること。
  • 文部省第1案を第一次的に決定する。即ち、無線電信講習所は、23年度から文部省に移管するが、暫定的に中央無線電信講習所として現在通りとし、所長は工業大学学長が兼務する。24年度から新制度を実施して工業大学附属無線講習所とする。
  • 無線電信講習所職員は一応全部文部省に移すこと。
  • 在学生及び新規の23年度募集はそのまま継続し、予算はそのまま文部省が継承すること。

ところで、無線同窓会が独自に昭和22年後半から躍起となってその具体化を推進していた「船舶無線通信の新教育制度」は、昭和23年2月24日、船員教育委員会(運輸省)の総会で原案のように可決され、実現への最終段階に入り、「船員教育学制改革案」の中で航海士、機関士と同等の位置付が船舶無線通信士にもなされたのである。ところがこれと並行して改革を運動することが決定していた陸上向け無線通信士の教育制度のあり方については、船舶無線通信士を重視する余りか、無線同窓会はなぜか日和見的であったことは否めない。

しかしながら、船舶無線通信士のみに固執したばかりにこの文部省移管への決定は、無線同窓会をして、さきの決議(昭和22年12月5日)を覆さざるを得ない急激な情勢の変化となったのである。

3月12日同窓会理事会は次のような決定をする破目にいたった。

  • 船舶無線通信士に重点を置いた実行委員会(22年12月5日発足)は発展的解消し、陸海職場代表同窓会員としての教職員と在学生を加え、同窓会がこれを運用し、討議し、これが実現に邁進する。
  • 22年8月の「船舶通信士教育の一機関のみの存続を主張する」の総会決議を、客観情勢の変化に伴い、海上、陸上要員を一本とした単科大学または綜合大学での教育について研究することに改める。ただし、いずれも国立大学たるべきこと。

とはいえ、過去同じ船乗りでありながらも、高等商船出の航海士、機関士との間に社会的地位の差別待遇を受け、その撤廃を叫び続け、たまたまこの学制改革を一つの契機として船舶無線通信士の立場の大きな飛躍をもくろんだ無線同窓会は、この自らの決定にいささか忸怩たるものがあったのではないだろうか。

ここで1947年(昭和22年)4月、中央無線電信講習所3年制新制本科に入学、1950年(昭和25年)3月までの3年間の学業を終えた斉藤芳雄氏の「思い出の記」を要約する。

当時の入学生は、軍関係の学校が敗戦により閉鎖されたため、陸士59期・60期、兵学校75・76・77期、予科生徒、幼年学校、海軍予科練、陸軍特幹等の関係者の他、中学校からの現役組と、いろとりどり、陸海軍の制服・作業服をまとった髭面のおっさんから、童顔の美少年まで、50余人であった。

それぞれが、月謝免除、学生手当支給、寮完備が受験の動機であった。藤沢支所が勉学の場であった。当時の支所長は太原彦一(交流理論)氏であった。新入生歓迎会があった。そのころでもまだ、姓名申告の戦時中の悪弊が残っていて、新入生は一人一人高い壇上に乗せられ自己紹介をさせられた。

「声が小さい!」「聞こえないッ」と上級生のやじが飛び交った。入所後、尚志寮に入った。1階が寮で2階が教室であった。本来の寮は焼失して土台だけが残っていた。しばらくしてその土台を利用して鴻志寮ができた。2階建で、1階・2階にそれぞれ10室くらいあり、1室が10畳くらいの広さで、押入れがついていた。砂の上の建物なので、風が吹くと砂が吹き込んで部屋の中に砂が積もったものだ。普通学は、尚志寮の2階の固有教室で、送受信技術は本館の1、2階で、オシレーターは受信教室で、また印字機は送信教室に、実践講堂では交信練習をやった。実習講堂は、別に平たい1階建の建物があり、接地抵抗、真空管の特性の測定等をやった。逓信省から文部省へ移り、新制大学が併設された。文部省へ移るとなると学生手当はなくなる、通信士の資格は国家試験となるということで、逓信省管轄のままとするか、文部省へ移るべきかと学生集会が開かれたが、衆議一決「文部省移管」が決定された。

次に、1948年(昭和23年)4月、中央無線電信講習所本科に入学、1951年(昭和26年)3月講習所最後の卒業生となった永嶺豊氏は綴る。

旧制中学の最後の卒業生は、授業料、受験料不要、教科書、衣服貸与、通信士として外国航路の乗船、第一級無線通信士の免許取得が魅力で入所した。雨の降る目黒駅近くの鉄塔の下に大書された「中央無線電信講習所」の門札があった。一種の言いしれぬ不安と希望が湧いた。毎日の授業は、通信に明け通信に暮れたと言っても良かった。その他、法規、仏蘭西語、それに高度な専門技術の教科もあった。1年生は4、50人編成の3クラスで、半数以上は旧軍関係の学校での通信経験者であった。殺風景な教室に一つ置かれた大火鉢が、将来を友と語る井戸端の役目をしてくれていた。そして1年後、24年春、新制大学が併設され免許の付与は白紙還元され、授業料は徴収されることとなった。学生の何度かの反対運動もむなしかった。26年3月20日、中央無線電信講習所の最後の卒業生となった。卒業証書には「右の者は本学中央無線電信講習所本科所定の云々、電気通信大学学長寺沢寛一」とあり、どこかの大学の附属を出た感じであった。

社会の出来事
  • 昭和22年5月3日 新憲法施行され、東京に祝賀の花電車。
  • 昭和22年6月6日 日本ダーピー復活。
  • 昭和22年8月9日 古橋広之進、400メートル自由形で4分38秒4の世界新。
  • 昭和22年8月15日 インド独立。
  • 昭和22年9月14日 キャスリーン台風、関東に襲来し、死者2,247人。