« 1章7節 2章1節   2章2節 » 

電気通信大学60年史

今日編2章  入学生卒業生の動向

第1節:入学生

1-1 受験生から見た電通大

電通大に対する受験生の印象の中で強いものは二つある。一つは技術者養成という印象であり、他の一つはこじんまりしているという事である。技術者養成という印象は、電通大の名前からの印象である事が多く、専修学校のようなイメージを抱く者すらいる。国立大学の中では唯一の校名に地名の入っていない大学である。たしかに、大学の内容通りの名前ではあるが、逆にこれがバタ臭い印象を与えて「エンジニア」というよりも「技術者」というイメージに結び付いているものと考えられる。したがって、かなり極端な例ではあるが、ある受験生は「電通大に入れば誰れでも技術者にしてくれる印象がある。」と話してくれた。

次に、この「技術者」と並んで多い印象は「こじんまりしている」という印象である。これは、一つには大学の規模から受ける印象であろうが、もう一つは単科大学であるという事との結び付きも大きいものと思われる。すなわち、規模だけでなくその内容といった面でもこじんまりとしていると受け取る受験生が多いようだ。

また電通大と切っても切れない印象として残っているのは、旧二期校としての電通大から受ける印象である。「電通大は二期校だった。」という印象が残っているようだ。この二期校からの印象として「二流の国立大学というイメージがある」と言った受験生もいる。また、この二期校であった事、更には比較的創立が新しい事などから「伝統的でない」と感じている受験生も多いようである。

理工系という事から「実験がかなり多く、講義もつまっているのではないかと思う。」とか、「単位を取るのが難しくて、あまり遊んでいられないと思います。」といった回答をしてくれた受験生もいたが、このような印象は理工系大学としての印象であり、電通大固有の印象ではない。しかし、先輩の話しや友人などから電通大の印象となっている受験生もいた。これらの印象は、電通大に付随する様々な物からの電通大に対する印象であり、電通大自体に対する印象ではない場合が多い。この事は逆に電通大に対する印象の低さを表わしているといえるだろう。したがって、受験生等に電通大の内容が伝わっていない事を証明していると考える事もできるだろう。受験生の中には調布という電通大の場所から「都心から離れた田舎の大学という感じがする。」と回答してくれた人が、東京近郊の受験生で多かった。比較的電通大に近い受験生でさえ上記のように「田舎の大学」といった印象しか回答出来ない人もおり、まだまだ電通大は一般に知られていないといえるだろう。

さて、電通大自体に対する印象として多かったのは「エレクトロニクス」関係の印象である。これは先に出て来た「技術者」とは若干異なる印象であるといえよう。つまり、コンピューター等に結び付いた新しいイメージとも言う事ができるかもしれない。「コンピューターの事が勉強できる大学だと思う」という印象や「エレクトロニクス関係では最もすすんだ大学の一つではないか」といった印象は、情報化時代の一翼を担う大学として電通大を考えている事を表わしているのではないだろうか、したがって、「技術者」や「電気屋さん」といった印象とは質的に大きな差があるといえるだろう。これは、アマチュア無線や電気の勉強をして来た受難生の中でもあり、一概に電気通信部門に興味の有る無しによって印象が異なるという事はないようだ。

電通大の設備に関する印象では「一応国立大学なんだから、電気通信の設備は整っているのではないかと思う」という印象や「写真で見た限りでは校舎が立派なのに驚いた。」といった回答があった。「まじめで勤勉で電気の好きな人が多いんじゃないかな」「アマチュア無線とかやっていた人が多いと思うけど、おもしろみに欠ける人が多いと思う。」といった印象は電通大生への印象であった。

1-2 入学者の推移

高度経済成長時代に数多くの大学で行われた学部、学科の新設や定員増の中で、電通大も数多くの学科の新設が行われた。しかし、高度成長の終焉とともに、学部、学科の新設ラッシュも終わりを告げた電通大でも1974年度(昭和49年度)に行われた機械工学第二学科以来新設学科はない。このために、昭和49年以降の入学者数は、ほぼ一定している。しかし、質的な変化がここ数年見られる。この質的な面での最大の変化は女子学生の数ではないかと思われる。数年前までは女性の進学率の上昇の中にあっても、電通大へ入学してくる女子学生は皆無に近い状況であった。ところが、1957年度(昭和32年度)に1名の入学者があって以来、1976年度(昭和51年度)5名、1977年度(昭和52年度)8名、1978年度(昭和53年度)11名と年々増加している。また、女子学生の入学学科も当初は、電子計算機学科・情報数理工学科等の2、3の学科に限られていたが、年々多様化してゆく傾向がみられ、1978年度(昭和53年度)の女子学生の入学学科は7学科になっている。

次に入学者の推移を出身地域、県別にみると次のような傾向がみられる。つまり、関東地域(ただし、東京は除く)の入学者数の増加がみられる。入学者に占める関東出身者の比率をみると昭和49年度には2割であったものが、昭和53年度には3割近くを占めるようになって来ている。この分、北海道、東北、中国四国、九州の出身者がやや減少している。これは、関東の中でも特に、神奈川、千葉、埼玉といった東京近郊の県での入学者数の増加による所が大きい。したがって、東京を含めた関東地域出身者の割合は、53年度入学者では6割を占めるようになって来た。

入学者を現役と浪人とに分けてその推移を見ると、現役で入学した者の比率は1975年度(昭和50年度)51%、1976年度(昭和51年度)42%、1977年度(昭和52年度)52%、1978年度(昭和53年度)55%となっており、ここ4年間では1976年度(昭和51年度)が最も低くなっている。しかし、全体の流れからみた場合現役の比率が徐々に高くなる傾向がみられる。また、二浪以上の比率もやや減少傾向がみられる。