電気通信大学60年史
今日編1章 電気通信大学の現状
第6節:体育施設

多摩川運動場

多摩川運動場
新制大学への移行に伴って、1949年(昭和24年)第一期生が入学したのが目黒校舎であった。爾来30余年、調布の地で体育関係では施設人員を含めて、標準的な国立大学として充実してきた。目黒時代はバスケットコート、テニスコート各1面、学外では、元競馬場跡地で野球を行っていたなど、初代の体育教官であった犬丸哲夫先生(助教授)の回想などとともに相良宏行先生(現短大教授)から聞くことがあるが、隔世の感なきにしもあらずである。
電通大の運動施設関係の発展の跡をたどると次のようになる。
昭和26年9月15日 | 校舎敷地5万690平方米購入 |
28年3月31日 | 東京学芸大学から運動場5万7742平方米所属替え |
36年7月17日 | 浜見寮木造1階延225平方米竣工 |
42年8月20日 | プール6コース(25米)及び管理室1階建も竣工 |
43年3月25日 | 体育館鉄骨造1階建一部2階建延1225平方米竣工 |
43年8月31日 | 菅平宇宙電波観測所鉄筋コンクリート3階建639平方米竣工 |
44年11月13日 | 多摩川運動場用地3万9230平方米購入 |
45年3月30日 | 武道館鉄骨造1階建375平方米竣工 |
46年3月30日 | 多摩川運動場付属管理棟鉄骨造1階建240平方米竣工 |
このような経過を追って、体育関係の施設は着々と充実してきたが、当時の関係各位の、並々ならぬ御尽力のたまものと厚く感謝している。菅平宇宙電波観測所についてここに入れたのは、当時の教職員、学生諸君の、課外活動(冬期スキー、夏期合宿)、研究其の他に使用したいという熱意と要望があり、意志表示としての署名運動とカンパがあったことと、当時の土井会計課長の手腕に負う所が大きかったと記憶しているので、あえて、記録に留めることとした。
以下体育施設の現状と展望について述べたい。
- 体育館
- 西地区にあり前世紀の爬虫類のよう斬新なスタイルは、採光が悪く、雨漏りが止まらないという難点はあるが、目を見張るものがある。雨天時の利用はもちろん、2年次のバスケットボールバレーボールをここで行っている。昼休みは教職員の方々の卓球や、バドミントンの利用が盛んである。放課後はバスケットボール、卓球、バドミントン、バレーボール、体操などの各部が使用している。体育館建設当時、ここに管理人1名をつけてもらい、道具の貸し出し、清掃などの管理業務を行う体制をとった。現在不可能になったが体育館は多くの人々のよりよい利用があってこそ生きてくるのであるから、今後よりいっそうの学生教職員の節度のある使用を望んでいる。
- 武道館
- 西地区のプールの隣りにあり、37.5平方メートルと小規模である。剣道場、柔道場とあるが、上記のような理由から、国公立大会などの大会を開くことは不可能に近いのは残念である。
- 弓道場
- 弓道場は学生部学生課の龍薗武蔵氏をはじめとする各位の、献身的な努力によって、だんだんと完全な形になったと伺っている。何も無い所に新しく建てることは中々大変なことだが、それを可能とした多くの人たちの善意に感謝したい。
- プール
- プールは西5号館の隣りにある。長さは25m、6コ-スで、大人のあごくらいの深さなので大変安全なプールだが、水球とか飛板飛込は無理である。7月の中ごろより9月まで、12時から4時まで一般に開放しており、学生、教職員の体力作りに役立っている。浄化槽関係の機械の操作と監視は学生課の指導によって行われている。
- テニスコート
- テニスコートは大学全体で西地区に4面(硬式)、東地区に2面(軟式)、多摩川に4面、計10面あり、比較的恵まれている。とくに多摩川の4面はいつも最高のコンディションが岩井敬松氏の努力で保たれている。本校の6面は甲州街道に面しており、騒音とほこりで環境があまりよくないのは残念というほかはない。
- 多摩川運動場
- 多摩川の清流に面した堤防に沿って39,230平方メートルの広さがある。施設は400mトラックと、この中にサッカーとラグビー兼用があり、そのほかに野球場1面、テニスコート4面と管理棟、管理人住宅、器具庫、部屋が備わっている。再度にわたる整備で目下大変良い条件にあるが、それも管理人の岩井敬松氏夫妻の献身的な奉仕に負う所が大きい。
授業は1年生が主に14時40分以降の4時限目(土曜日は10時30分以降の2時限目)に行っているが、静かな恵まれた環境でのびのびと運動に励んでいる。放課後は、ラグビー、サッカー、野球(硬、軟)、陸上、同好会の硬式庭球が練習に励んでいる。