山肩昭夫 お勧めの逸品
フラクショナルμ真空管
はじめに
私は、第 6 展示室に特別展示されている「フラクショナル μ 真空管」を逸品としてここにお勧めしたい。電気通信大学の教員が一般の真空管の使用法とは異なる目的で開発し、企業と共同で試作に漕ぎつけたもので、“逸品”としてお勧めする理由はそこにある。
ところが、である。最近の日本では、大学の電気・電子系学科の専門コースに「真空管工学」や「電子管工学」などの科目が見当たらない。科学・技術系の出版社から出版されていた多くの関連教科書も絶版のようだ。そもそも、「真空管」が何かをご存じでない方も多いと聞く。そこで、「真空管」についての簡単な説明から始めたい。
真空管
球形や管状あるいは筒状の内部を真空にして電極を封入し、電極を熱して生じる熱電子の流れを制御できるようにしたデバイスが「真空管」である。管の内部の電極が陰極 (cathode /kathode) と陽極 (anode あるいは plate) の二種類だけである真空管を「二極管 (diode) 」という。二極管は陰極を熱して熱電子を発生させ、それを陽極で捕捉するように構成されており、電流は一方向にしか流れない。このため、高周波信号の検波や、交流から直流への変換(整流)に用いられる。
二極管内にもう一つの電極 (grid) を追加し、その電極の電位を操作して陰極から陽極に向かう熱電子流の量を制御できれば、信号の増幅や発振の機能を持たせることができる。この種の真空管は三極管 (triode) と呼ばれる。三極管の特性を改善するために第二の電極を加えた四極管 (tetrode)、さらに第三の電極を加えた五極管 (pentode) なども考案された。第二次世界大戦後の 1947 年に発明されたトランジスタが安定に動作するようになるまでの半世紀以上もの間、真空管は科学・技術の第一線で活躍したデバイスであった。現在でも、電子レンジや高周波の電力増幅、光電子の増倍などの特定の分野では、真空管が現役で使われている。
真空管の三定数
真空管の基本性能を表す指標は三つある[1]。
一つは、陽極電流を一定に保ち、格子に加えた電圧の変化で陽極電圧がどれだけ変化するか、を比で表した量である。この量は信号を増幅する割合の目安であり、増幅率と呼ばれ、記号 μ で表される。電圧変化の比なので、単位は無次元である。
一方、陽極電圧を一定に保ちつつ、格子に加える電圧を変化させたときに陽極電流がどれだけ変化したか、を比で表した量は、電流変化を電圧変化で割るので次元は抵抗の逆、すなわちコンダクタンスであり、単位は S (ジーメンス)である。この量は異なる電極間の特性であるから相互コンダクタンスと呼ばれ、記号 gm で表記される。同様に、格子に加える電圧を一定に保った状態で陽極電圧を変化させると陽極電流も変化する。その比は陽極から見た真空管の内部抵抗を表しているので単位は Ω、記号 rp で表される。これらの三つの量の間には一般に rp=μ/gm の関係が成り立つ。
真空管の増幅率 μ は必ずしも大きければよいというものではない。使用目的によって異なるが、多くの真空管は 2~100 の値を持つ。例えば、代表的な三極管 12AU7 では 17、12AT7 では 60、12AX7 ではおおむね 100 である。
奇妙な回路構成
一般的な三極管では、格子に入力信号を加え、陽極から出力信号を取り出す。しかし、1928 年に F. E. Terman によって発表された回路(図1)[2] は、陽極 P を入力としてそこに負のバイアス電圧を加えておき、正の電圧を加えた格子 G から出力を取り出すように構成されている。フィラメント F は熱電子を放出する陰極である。
Terman の回路では、陰極Fから出た熱電子はほとんどが正電圧の格子 G に捕捉され、負電圧の陽極 P にはあまり到達しない。増幅率 μ の定義である「格子に加えた電圧の変化と陽極電圧の変化の比」を考えると、μ の値は 1 よりずっと小さい。陽極 P に入力する信号電圧がよほど大きく変化しないと、熱電子流の量を変化させることはできないから、「陽極への入力電圧の変化と格子からの出力電圧の変化」を増幅率と考えても、μ は 1 よりずっと小さな値となる。
この回路構成では、入力側である陽極にはほとんど電流が流れないため、入力インピーダンスは高く静電容量も小さくなる。この性質を利用すると、測定対象の電圧が高いときに、それをステップダウンして低電圧用の電圧計やオシログラフで測定するときのフロントエンドとして、しかも対象の電力を消費することなしに、活用できる。Terman は、本来の三極管の増幅率 μ の逆数に近いステップダウン比が実現できることを実験で示した。
フラクショナル μ(Fractional-Mu) 真空管
一方、電極の寸法や配置を工夫すると、本来の三極管の増幅率 μ を 1 より小さくできる。1946年、L. Freeman と R. C. Hergenrother は、陰極と陽極を接近させ、格子を陰極から遠ざけることで 1 より小さな μ の値を実現し、これを Fractional-Mu (フラクショナル μ ) と名付けた[3]。電極配置の一例を図2 に示す。図中、CATHODE は熱電子を発生させる陰極、ANODE が陽極、CONTROL ELECTRODE は制御格子に対応する。図中の数値の単位はインチ (1in=25.4mm) である。
Freeman らは、フラクショナル μ 真空管を使って高周波の反結合発振器を構成して実験を行い、一例として、陽極に供給する電圧・電流が 312V、21.5mA のとき、格子抵抗 23.6MΩ の両端のバイアス電圧が 4.9kV となり、電圧のステップアップ比 15.7 が得られたことを報告している。
このように、フラクショナル μ 真空管は、本来は電子が走行する陰極と陽極の間に挿入されるはずの格子を陽極から離れた位置に配置することで μ を 1 以下にし、「増幅はしない」といういわば逆転の発想で作られた真空管である。検波や増幅などに用いるのが目的ではなく、例えば、発振の際にグリッドに発生する大きな負電圧を直流高圧電源として利用する、いわゆる DC-DC コンバーターなどへの利用が主な目的として挙げられる。
電極配置の改良
山中惣之助(後に電気通信大学名誉教授)は、東北大学に在籍中にフラクショナル μ 真空管の電極配置を解析・検討して試作・開発した成果を電気通信学会雑誌(当時) [4] に発表した。同雑誌に掲載された論文中の電極配置の一例を図3 に示す。
この例では陽極内側を 6 分割するように翼を伸ばし、各分割の内部に格子を置いている。中央は陰極である。 また、rp1 は中心から陽極隔壁翼までの距離、rp2 は陽極円筒の半径、rg は中心から格子までの距離、2R は格子の直径、などである。各電極の位置や大きさを変えることで真空管三定数を変更できる。
図3の電極配置で実際に μ=0.09 程度のフラクショナル μ 真空管を試作し、格子同調形発振回路を構成して実現した簡易高電圧電源を図4 に示した。この回路では、陽極に供給される電圧と格子バイアス電圧 Eg のステップアップ比 18~20 が得られたという。陽極供給電圧 400V に対し、格子からの出力電圧 8kV、出力電力 6W が達成でき、オシロスコープ用の高電圧電源として十分機能すると報告している。
おわりに・ミュージアムの逸品
山中は電気通信大学に着任してからも「分数増幅率管」という名称で引き続き精力的に研究を行い、種々の応用に適したフラクショナル μ 真空管を設計・試作して実験を行い、電気通信大学学報[5], [6], [7] にその測定結果を発表している。
学報 [5] では、陽極に供給される電圧を交流にした場合の直流高電圧発生回路の理論解析を行い、日立の試作管 2TF3 (μ=0.22) を用いた実験で理論計算値に近い実測値が得られたことを報告している。
山中らが試作した GT (glass tube) や MT (miniature tube) タイプのフラクショナル μ (分数増幅率)真空管(写真1)や、日立が製品化した大型のタイプ(写真2、H4043)を、当ミュージアム第 6 展示室に特別に展示しているのでご覧いただきたい。
参考文献:
- [1] 真空管工学:浜田成徳、和田正信 共著、コロナ社「標準電気工学講座11」5章3節(昭和32年9月30日)
- [2] “The Inverted Vacuum Tube, A Voltage-Reducing Power Amplifier,” F. E. Terman, Proc. IRE, Vol. 16, Issue 4, pp. 447-461 (April 1928) DOI: 10.1109/JRPROC.1928.221419.
- [3] “High-Voltage Rectified Power Supply Using Fractional-Mu Radio Frequency Oscillator,” R. L. Freeman and R. C. Hergenrother, (PDF) Proc. IRE and Waves & Electrons, Part II, Vol. 34, No. 3, pp. 145-147 (March 1946).
- [4] フラクショナルμ真空管、小池勇二郎、山中惣之助、小野昭二 電気通信学会誌、第38巻第4号、pp.267-271(昭和30年4月)
- [5] 分数増幅率管による高電圧発生に関する研究、山中惣之助、電気通信大学学報 理工学編、Vol. 11, pp. 156-185(1960年3月20日)
- [6] 分数増幅率管の応用に関する研究(第1報)、山中惣之助、小野田源彦、佐藤孝到、電気通信大学学報 理工学編、Vol. 12, pp. 91-107(1961年3月25日)
- [7] 分数増幅率管の応用に関する研究(第2報)、山中惣之助、小野田源彦、電気通信大学学報 理工学編、Vol. 13, pp. 19-26 (1962年3月20日)
(学術調査員 山肩 昭夫)