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UECコミュニケーションミュージアムには,学術的に貴重な価値を持つ展示品が多くあります。

エンボッシング式モールス電信機(通路沿いケース内に展示)

1854年に日米和親条約締結のために日本を再訪したアメリカ・東インド艦隊のMatthew Calbraith Perry提督が,アメリカ合衆国Millard Fillmore大統領から徳川幕府への献上品としてもたらした物品の中に,モールス電信機2セット,バッテリー,3マイル長の電線,絶縁被覆線,碍子などがあった。
参考:https://library.brown.edu/cds/perry/Perry_Journal.html

モールス電信機は受信した符号を圧痕として紙テープ上に記録するもので,「エンボッシング式」と呼ばれている。明治新政府が接収した後,東京帝国大学を経て逓信博物館に移された。1997年に国の重要文化財に指定され,逓信総合博物館に保管・展示されていた。
参考:http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=10231

逓信総合博物館での電気通信関連資料の展示が行われなくなったことから,当ミュージアムの学術調査員の尽力によりレプリカが2016年3月末に当ミュージアムに移管され,1階通路に設置した展示ケースに保管されている。

エンボス式モールス電信機
「エンボッシング」式モールス電信機(レプリカ)
エンボス式モールス電信機
印字部の拡大写真

モールス符号を受信すると,右側の紙テープ下に見える電磁石によって針が駆動され,紙テープ上にモールス符号の圧痕が形成される。受信者はこの圧痕を見て送信された符号を判別するが,紙テープ操出の不斉一や巻き取りによる圧痕の不鮮明化によって,符号判別に苦労したという。

三六式無線電信機(通路沿いケース内に展示)

真空管が発明され正弦波の増幅や持続的な発振が可能になるまでの間,人工の電磁波は火花放電によって生成された。1903年(明治36年)に日本の海軍が制式採用した無線電信機を「三六式無線電信機」という。1904年2月に始まった日本とロシアの間の戦争に際し,日本海軍の連合艦隊に装備された三六式無線電信機は,火花放電式送信機,コヒーラ受信機および印字機のセットであった。1905年5月27日に仮装巡洋艦「信濃丸」がロシアの第二太平洋艦隊を発見したとの暗号電報は三六式無線電信機を使用して送出された。

神奈川県横須賀市の横須賀新港に係留されている記念艦「三笠」には,1960年頃に複製された三六式無線電信機のレプリカが展示されており,2017年度の重要科学技術史資料(未来技術遺産)として登録された(第00228号)。
参考:http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/218035

当ミュージアムの通路沿い展示ケースには,三六式無線電信機の火花放電部などのレプリカのほか,コヒーラ検波器と受信符号印字機などが展示されている。

水銀開閉器(左)と電鍵(右)(レプリカ)
水銀開閉器(左)と電鍵(右)(レプリカ)
「感応」コイルと火花放電部(レプリカ)
「感応」コイルと火花放電部(レプリカ)

上の写真の「感応」コイルは変成器であり,電鍵を押下すると電池からの直流が一次側コイルに供給される。この直流経路をモーターで駆動した水銀開閉器で断続させると,断続の周期で決まる交流の高圧電圧が二次側に誘起される。その値が火花放電部のgap間隔で定まる値を越えるとgapに放電が生じるが,放電によりgapは低抵抗で短絡され,電位差が低下して放電は停止する。gapの一端の電極を接地し,他端の電極に空中線を接続して放射される電磁波は減衰振動波となり,広い周波数帯域を占有するので,他の通信に混信妨害を与えることが多い。

コヒーラ検波器(安中製作所製造)
コヒーラ検波器(安中製作所製造)

上の写真の中央にある横長の金属色の棒がコヒーラである。受信した電磁波による高周波電圧がコヒーラ両端に印加されると,コヒーラ内の金属粒子が両端の電極や粒子同士で固着して短絡状態となり,電磁波の存在を検出できる。いったん固着した金属粒子はそのままの状態を維持するので,電磁波検出の機能を回復するには機械的な振動を加えて金属粒子の固着状態を解除する必要がある。そのための打撃子をデコヒーラという。上の写真では,コヒーラの下にノブ状のデコヒーラがのぞいている。

デコヒーラは一種のブザーで,それを動作させる電流はコヒーラによって短絡された回路から直流電池によって供給される。電磁波を検出してコヒーラが短絡し,それを起因としてデコヒーラが動作してコヒーラを機械的に打撃しても,電磁波を受信している限りコヒーラ内の金属粒子は固着した状態であり,コヒーラは電気的に短絡した状態を維持する。電磁波が存在しなくなった段階でデコヒーラがコヒーラを打撃すると,コヒーラの短絡状態が解除され,デコヒーラの動作電流も停止する。この動作を利用してデコヒーラの駆動回路にプリンタを挿入すれば,モールス符号の印字機となり,ベルを挿入すれば音響的にモールス符号を聴取できる。

受信符号印字機(SIEMENS&HALSKE製造)
受信符号印字機(SIEMENS&HALSKE製造)

上の写真はドイツのSIEMENS&HALSKE社の銘板を持つ印字機である。紙テープは下部の木製引出し内部に収められており,上に引き出して印字部を通しておく。電磁波を受信してコヒーラが導通すると電磁石によって印字輪が上に持ち上げられ,紙テープに圧着して線状痕を残す。印字輪をインク壺に付けておけば,紙テープに記されたモールス符号を容易に読み取ることができる。

クエンチトスパーク式送信機(第1展示室)

火花放電で生成される高周波信号は減衰振動波形をしており,広い周波数帯域を占有するため,近隣で行われる他の通信と混信してしまう。また,高周波を生成する駆動側と空中線系の同調周波数とが一致しない場合にgapが短絡状態では,両者の結合が密なままで唸り状態の電磁波が放出されるなど,多くの欠点があった。gap放電による高周波信号が速やかに減衰したほうが,空中線系に適切な同調回路を挿入することで連続波に近い高周波信号を作り出せる。1906年,Max Wien はgapの距離を極端に狭くしてシリーズに接続することで,gap抵抗が高いまま火花放電が繰り返し発生し,そのたびに生じた振動電流が瞬時に減衰する性質を見出した。
参考:https://archive.org/details/WirelessTelegraphy-WithSpecialReferenceToTheQuenched-SparkSystem

下の写真は,無線電信講習所が1920年に目黒に移転後に実験・演習用に用いられた「逓信省クエンチトスパーク式送信機」(瞬滅火花式ともいう)の一式である。1921年5月に割り当てられた呼出符号はJAZAだった。

クエンチトスパーク式送信機:(右奥から)テスラーコイルと空気コンデンサ,電鍵,水銀開閉器,およびクエンチトスパーク発生部
クエンチトスパーク式送信機:(右奥から)テスラーコイルと空気コンデンサ,電鍵,水銀開閉器,およびクエンチトスパーク発生部
1921年(大正10年)5月24日官報の抜粋
1921年(大正10年)5月24日官報の抜粋

1926年9月,無線電信講習所は実験用に短波送受信機を設置し,教育機関としてはわが国初の短波帯の私設実験施設として逓信省から認定され,波長38m帯の免許を受けた。

1926年(大正15年)10月21日官報の抜粋
1926年(大正15年)10月21日官報の抜粋

1928年10月に新たに呼出符号J1CIが割り当てられ,1930年10月にはアンテナ形状の変更と真空管式送受信機を増設している。1934年1月,呼出符号はJ2JDに変更になった。

1928年(昭和3年)10月19日官報の抜粋
1928年(昭和3年)10月19日官報の抜粋

エディソン蝋管蓄音機(第2展示室)

写真は1911年に製造されたEdison蓄音機Standard Model D である。右手に見える取っ手を回してゼンマイを巻き,その復元力を動力源として録音溝が刻まれた円筒を回転させ,溝の上に置かれたサファイア針が溝の深さ方向の振動を検出して録音された音を再生する。サファイア針で駆動される振動版だけでは音が微弱なので,空間への音響放射の効率を上げるため,指数関数ないし双曲線関数的に断面積が広がるホーンを接続する。

Standard Model D 本体とホーン,および蓄音円筒
Standard Model D 本体とホーン,および蓄音円筒
銘板の刻印にあるModel D のシリアル番号
銘板の刻印にあるModel D のシリアル番号

録音円筒には初期の2分間用の蝋管とその改良版である4分間用のAmberol蝋管があり,Model Dはどちらも再生部のピンの位置を切り替えることで使用できた。

プログラム可能カシオ製リレー式計算機AL-1 (第2展示室)

1962年にカシオ計算機(株)が製造したリレー式の計算機で,科学計算用にプログラムの入れ替えが可能である。四則演算と開平を基本演算とする10進計算機であり,10進10ケタの変数を1つ,定数を2つ記憶できる。出力装置は10個のニキシ―菅で,小数点位置を表す10個のランプを備えている。

カシオ製リレー式計算機AL-1と入力装置(机上左の押しボタンの付いた箱)
カシオ製リレー式計算機AL-1と入力装置(机上左の押しボタンの付いた箱)

当ミュージアムに展示されているAL-1は学術調査員たちの懸命な修復作業によって動作可能な状態に維持されており,2017年3月16日付で情報処理学会の2016年度情報処理技術遺産に選定された。

情報処理技術遺産認定証
情報処理技術遺産認定証

参考:http://museum.ipsj.or.jp/heritage/relay_AL-1.html

初期の真空管や水銀蒸気封入三極真空管・リーベン管(第6展示室)

20世紀初頭には無線通信が実用化されるが,受信した高周波の電波を検波する装置として熱電子二極管が1904年にJohn Ambrose Flemingによって発明された。熱電子二極管はその後,交流を直流に変換する整流器としても広く使われるようになる。

Fleming Valve
Fleming Valve

二極真空管は検波・整流の機能を持つが、1906年になると二極管の陽極と陰極の間に制御電極を挿入したAudionと呼ばれる三極管がLee de Forest によって発明された。この発明により制御電極に加えた微小な信号を大きく増幅できるようになり、これを嚆矢として真空管の増幅作用の解明が進んでいく。しかし、当時の真空技術は未熟で空間電荷の効果も未だ知られていなかった。

Audion
Audion

Lee de Forest がAudionを発明したのと同じ1906年,Robert von Liebenが水銀ガスを封入した三極管を制作する。しかし,1912年までは検波器として利用されていた。1913年にドイツのテレフンケン社がこの三極管(Lieben管)を使った安定な発振器を制作し,1914年から始まる第一次世界大戦ではドイツ陸軍が軍用有線電話の中継器に利用した。

Lieben tube
Lieben tube

当時,検波作用は管内に残留するガスの作用だと考えられていたこともあり、Lieben管には上の写真の左下部に見られるガラスの分枝細管の下部に水銀蒸気を放出するアマルガムペレットが封入されている。その後、空間電荷効果に関するIrving Langmuir論文により残留ガスは不要であることが判明し、より真空度の高い真空管が作られるようになっていく。

展示されているLieben管は2011年にスウェーデン科学技術博物館(Tekniska Museet)から本ミュージアムに貸与され,2017年8月に寄贈された。ガラス工芸品としても非常に美しい姿をしており、地震などで倒れて壊れないように免震装置に載せて展示している。
参考:http://ewh.ieee.org/soc/emcs/acstrial/newsletters/spring11/museum.html

カミオカンデの光電子増倍管(第6展示室)

物質を構成する原子の原子核は電気を持った陽子と電気を持たない中性子から作られている。陽子の寿命は無限と考えられていたが,大統一理論では陽子は長い時間をかけて崩壊する,と予言されている。陽子の寿命がN年であるとすれば,N個の陽子を集めれば1年かけて1個の陽子が崩壊すると考えて良い(確率的には)。 そこで,大量の純水をタンク中に閉じ込め,その周囲の壁面に多量の光センサーを充填配置し,陽子崩壊によって生じた粒子によるチェレンコフ光を観測する仕組みが考えられた。岐阜県飛騨市神岡町の神岡鉱山跡地で1983年に始まったカミオカンデによる観測は,その後の改修(スーパーカミオカンデ)を経て2018年に至っても未だ陽子崩壊は観測されていないが,ニュートリノの観測に優れた性能を示すことが明らかになった。1987年2月23日午後4時35分,大マゼラン星雲中で爆発した超新星SN1987Aから放射されたニュートリノ群を観測した小柴昌俊東大教授は,2002年にノーベル物理学賞を受賞した。浜松フォトニクスが制作した20インチ光電子増倍管がニュートリノの観測に貢献したことを讃え,2014年11月,IEEEは20インチ光電子増倍管を1979年から1987年の間のIEEEマイルストーンに認定した。
参考:https://www2.kek.jp/ja/newskek/2007/marapr/kamiokande.htmlおよびhttp://ethw.org/Milestones:List_of_IEEE_Milestones

当ミュージアム第6展示室入口には,神岡鉱山跡地のカミオカンデで使用された20インチ光電子増倍管が展示されており,その右側表面には小柴教授のサインが記されている

20インチ光電子増倍管とIEEEマイルストーン認定証
20インチ光電子増倍管とIEEEマイルストーン認定証
小柴教授のサイン
小柴教授のサイン

核磁気共鳴(NMR)分光用磁場生成コイル(第7展示室)

核磁気共鳴(NMR: Nuclear Magnetic Resonance)をベースとした分光計測の技術は,1940年代後半から1950年代初頭にかけて,ハーバード大学のEdward Mills Purcellらとスタンフォード大学のFelix Blochらによって,それぞれ独立して開発された。両者は1952年のノーベル物理学賞を受賞している。

原子核の磁気モーメントは外部磁場の中でゼーマン凖位に分裂し,NMR分光計測法は,その凖位間の遷移を電磁波の共鳴吸収として測定する。原子核の種類と環境によってスペクトルの形状が異なるので,化学的分析手法として広く使われている。医療用の磁気共鳴映像装置(MRI: Magnetic Resonance Imaging)の基本原理ともなっている。

1949年に開学した電気通信大学の理学第二講座(化学)に助教授として着任した藤原鎭雄は,NMR分光に必要な磁場を生成するため,磁場強度9,000ガウスまで達する磁石を手作りし,1951年には当時の世界最先端である6ケタの高い精度で銅の核磁気能率値を報告するなど,多数の核種の核磁気能率を測定していった。下に示す装置が藤原らの手作りしたNMR磁場生成用電磁石である。

参考:“核磁気共鳴吸収の化学への応用(第1報):装置の設計,試作と,二三の実験結果について”,藤原鎭雄,林昭一,pp.107-117,電気通信大學學報第3号,1951年12月8日