櫻井徹男 お勧めの逸品
ファーストトランジスタ(レプリカ:第6展示室)
トランジスタの発明の影には多くの先人たちの研究があった。第二世界大戦中に発達したレーダーはより短波長へと開発目標が移り、真空管の使用限界に達してしまった。そこで解決策の一つとして鉱石検波器が研究され、半導体材料としてゲルマニューム、シリコンが選ばれ、結晶中の不純物濃度の制御が確立された。半導体中の電子の動きも量子力学の発展により解明され、半導体を使って三極真空管と同様に信号の増幅ができないか、と多くの研究者が研究を重ねた。その背景には、真空管ではカソードを加熱して熱電子が出るまでに時間が掛かること、消費電力も多く発熱が大きいこと、カソード及びフィラメントの耐久寿命が有限であること、等の克服すべき課題があったためである。
ベル研究所 (Bell Laboratories) は真空管に替わる固体素子を電話システムに応用したいと考えて優秀な研究者を集めた。John BardeenとWalter Houser Brattainはn型ゲルマニュームの結晶の上に50μmの間隔で2本の針を立て、エミッタ・コレクタ間の電流がエミッタ・ベースに流れる電流によって大きく変化することを発見し、増幅作用が有ることを確認した。1947年12月16日のことである。この発見から1週間後、ベル研究所の数人の幹部に見せた12月23日が公式な発明日となった。下の写真に示す部品が,その「ファーストトランジスタ」のレプリカである。レプリカとはいえ、半導体による増幅作用の画期を拓いた素子であり、「逸品」として紹介したい。
出張中のためこの発見に立ち会えなかったWilliam Bradford Shockley Jr.は、点接触トランジスタの動作原理を考察してPN接合理論を確立し、トランジスタの安定動作への道筋をつけた。3人はトランジスタの発明により1956年にノーベル物理学賞を受賞している。その後も、合金トランジスタが1949年4月にベル研究所で作られ、1951年には成長接合型トランジスタが開発され、同研究所は半導体発展の礎となっていく。
日本では一部の研究者にGHQ(General Headquarters: アメリカを主力とする日本進駐軍・連合国軍の総指令部)からトランジスタの発明の話が伝わって研究を始めたのだが、初期には理論や技術の詳細が判らず苦労したとのことである。日本の企業が本格的に開発を手掛けたのはトランジスタ関連特許が公開された1952年からであった。
東京通信工業(現在のソニー)はウエスタン・エレクトリック (Western Electric) 社からトランジスタの特許使用許可を得る契約を結び、独力で開発を行い苦労しながらもトランジスタラジオに使用できるトランジスタを生産し、世界中にトランジスタラジオを輸出した。アメリカではトランジスタは主に軍事用として開発されて発展したが、日本では民生用として生産された。東京通信工業(ソニー)のトランジスタラジオの成功により、日本の幾つものメーカがトランジスタラジオを製作し輸出するようになったが、中には粗悪品を作り輸出した悪質な業者もいたとのことである。
ゲルマニュームトランジスタは高温での動作には向かないため、シリコントランジスタが開発されてトランジスタテレビ等に使用されるようになり、引き続き、メサ型やプレーナー型が発明された。プレーナー型トランジスタはフェアチャイルド (Fairchild) 社の発明である。トランジスタの表面を酸化膜で覆うことで安定した動作を得ることが可能となった。これ以降、プレーナー方式で作られるトランジスタが多くなっていく。
初期のトランジスタは、電極からの金リード線を女性が顕微鏡で見ながら溶接していた。彼女らはトランジスタガールと呼ばれ、多くが中学校卒業後に就職して働いていた。この作業を自動化しようと、NECは自動機を開発し省力化と効率化を成し遂げた。
1964年になると、トランジスタとダイオードを使った電卓(コンペット CS-10A)をシャープが53,500円という当時としては低廉な価格で発売した。これ以降、小型化・低コスト化をめざして多くのメーカが製造・開発に参画し始める。小型化と低コスト化のために集積回路(IC: Integrated Circuit)を採用するメーカが現れ、初期はPMOS (p-channel Metal-Oxide Semiconductor) のICが製造技術上の理由で選ばれた。その後、技術の発展によりNMOS (n-channel MOS) が作られ、集積回路の大規模化(LSI: Large Scale Integration)へと発展していく。
ICはシリコンの結晶上にトランジスタや、抵抗、コンデンサを作って結線を行い、回路を構成するもので、TI(Texas Instrument)のJack St. Clair Kilbyが発明し、プレーナー技術と合せることで安定したICの完成に繋がった。ICもアメリカでは軍事用として使われることが多かったが、前述同様、日本では民生用の電卓用途で多量に使われることで製造技術が発展し、MOS技術を進歩させた。
電卓は、ICの個数を減らしコストダウンする目的でLSIへと発展していく。計算器メーカのビジコン社に勤務していた嶋正利はプログラム機能を考えて回路化し、インテルに製造を依頼する。しかし、回路規模が大きすぎたため、インテルの提案で計算の処理方法を変更して完成したのが世界初のマイクロプロセッサー(MPU: Micro-Processor Unit)4004である。インテルは主力製品として紫外線消去型のEPROM (Erasable Programmable Read Only Memory)、SRAM (Static Random Access Memory)、DRAM (Dynamic Random Access Memory) を擁していたが、記憶容量が増えるにしたがい日本の半導体メーカとの技術力競争に破れてシェアを落とし、マイクロプロセッサー事業に技術と資本を結集し製品を市場に送り続けた。8088(16ビット演算、8ビットバス)がIBMのパソコンに採用されたことで急成長し、80186、80286、80386、80486、Pentiumと続き、パソコンのMPUのシェアを上げて事業を拡大して今日に至っている。
一方、IC化できない回路部品もあった。電源回路やオーディオアンプなどはコレクタ損失の大きいトランジスタを必要とするため、同一結晶内に多数を作ると多くの問題が発生する。このため、個々のトランジスタを組み込んで結線するハイブリッドICとして発展していく。また、インダクタンスは集積回路では作るのが難しく、高周波で使うパワーアンプやLNA(Low Noise Amp)もハイブリッドIC化されて各種の通信機器に使用され、通信手段の高度な発展に寄与した。
第6展示室の半導体コーナーではラジオ受信用に使用した鉱石検波器やゲルマニュームダイオードを始め、交流電源から直流を作るために使われた亜酸化銅整流器やセレン整流器なども展示している。これらは後にゲルマニュームダイオードやシリコンダイオードに置き換わり、産業用や家電等に現在でも広く使われている。トランジスタでは初期の点接触トランジスタ、その後の拡散型、合金型を始め各種のトランジスタが展示されている。さらに、ダイオードを発展させて発光するLED (Light Emitting Diode)やレーザーダイオード(LD: Laser Diode)などの他、高電圧と低電圧を絶縁して信号を伝えるフォトカプラー等の光素子なども見ることができる。
このような個別の素子に加え、トランジスタやIC、LSIの基板となるシリコンウエハーや、製造されたトランジスタやIC、LSIを製品に組み立てる時に使用するリードフレーム、前述のハイブリッドICやIC、LSIを組み込んだプリント基板等も展示しており、半導体の発展の歴史を第6展示室の半導体コーナーで見ることができる。
参考資料:奥山 幸祐,半導体の歴史,https://floadia.com/column.htmlopen_in_new
(第6展示室半導体担当学術調査員 櫻井 徹男)