電気通信大学60年史
前編序章 無線通信のめざめ
第1節:マルコーニの発明
科学技術の発達は、人類の知識欲から発見した現象を探究しようとする努力と、生活に役立たせようとする工夫との相関によって際限なく続けられていく。電気・磁気についても同じで、磁気は遠く紀元前700年ごろ黄帝の時代に早くも指南車に応用した記録がある。電気も、紀元前642年ギリシャの哲学者ターレスが琥珀を摩擦すると吸引力を生ずるという現象を発見したが、当時はこれを解明する方法がなく、単に不思議な力として認識されたにとどまっている。1600年、英国エリザベス女王の典医ウィリアム・ギルバートは、この現象が琥珀だけでなく、摩擦によって多くの物体にも発生することを発見し、琥珀のギリシャ語エレクトロンを使って、Frictional Electrification 『摩擦帯電(現在の静電気)』と名付けたことは広く知られている。やがてこの現象が物理学者の研究対象となってから次々と新発見が行われ、18~19世紀にフランクリン、ガルバーニ、ボルタ、エールステッド、アンペール、アラゴ、スタージォン、オーム、ヘンリー、ファラデーなどの欧米の学者たちの努力によってその正体が明らかにされていった。電気と磁気とは表裏一体をなすものであるという両者の関連性もこの時代に解明された。
ファラデーは、1831年に電磁誘導現象を発見し、電磁気学に画期的発展をもたらし、後輩のマクスウェルがこれを理論的体系にまとめあげ、1864年マクスウェル方程式を導出し、これにより電磁波の存在を予言し、その伝播速度は光速度に等しいことを明らかにし、光の電磁理論に貢献した。これについでヘルツが登場、マクスウェルの論文からさらに進んで、電磁波の存在を実験的に示し、1888年電磁波が光や熱輻射と同じ性質を示すことを確認、マクスウェルの電磁波論の正しいことを示した。かれの実験装置とはインダクションコイルと火花放電器を組合わせたものである。これらの理論と実験が後年の電波通信の基礎となったのである。
1890年前後において、無線電信に関する研究が行われたが、閉回路の導電式及び誘電式無線電信で遠距離無線電信としての実用性はなかった。
イタリアの青年マルコーニは、ヘルツの電磁波実験を研究し、開回路すなわち高い空中線から火花間隙をはさんで地面に放電する回路を発明し、送信機にヘルツの発振器を改良したもの、受信機にロッジのコヒーラー検波器を用いて実験と改良とを重ね、1895年に6 kmの距離でモールス符号による無線電信通信に成功した。マルコーニは1896年イギリスに渡って、英国郵政庁技師長ウィリアム・プリースの援助で郵政庁の技術者に公開実験を行って12 kmの通信に成功した。英国陸・海軍省もマルコーニの電波式無線電信機を実験してその有効性を認めた。
1897年イギリス・マルコーニ無線電信会社を創立し、遠距離通信の開拓と無線電信機の改良に努力を続け、あらゆる困難を克服して1901年ついにイングランド、ニューファウンドランド間洋上2,700 kmの通信に成功した。同年マルコーニは船舶の無線通信に着眼して、船舶無線装置と世界中の要所に海岸局を設ける野望を抱いて研究を始めた。1899年マルコーニ会社はアメリカに子会社を作り、1919年RCAが創立されるまでの20年間イギリスとアメリカの無線界を支配した。
マルコーニは初期の電波通信において、空中線の高さと発振電力が、通信距離を決定する重要なファクターであることを発見した。マルコーニの電波式無線電信の発明によって、導電式または誘電式無線電信機の研究は姿を消した。
マルコーニの空中線の着想は無線電信の実用化とその急速な発達に大きな貢献をもたらしたもので、彼はまさに無線通信と電波応用技術の生みの親であるということができよう。