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電気通信大学60年史

後編第5章 電子工学時代の電気通信大学

第5節 浜見寮の開設

浜見寮が竣工したのは1961年(昭和36年)7月12日であり、その3日後の7月15日に正式に開設された。その規模は、木造1階建延225平方メートルである。

この程度の規模の厚生寮が、単にできたという事実はさほど歴史的に意味を付加しうるものではない。しかし、この「海の家」浜見寮ができた事実というのは、電気通信大学関係者にとって「語り種」的な一つの事件であった。その意義は設立までの経緯に潜んでいる。

浜見寮改造について

電気通信大学学友会浜見寮改修委員長であった青野吉雄氏の昭和36年1月30日の記録によれば、

「元職員宿舎浜見寮を、学生の厚生寮にしたいと聞いたのが9月(注昭和35年)、そして、浜見寮というものが藤沢にあるというのを知ったのも、これが初めてという有様でした。山本学長は見て来られて、大変良い場所だと話され、われわれもそのような趣旨なら大いに賛成だし、現在何ら学外に厚生施設を持たないわれわれにとって、海の家のような厚生寮の実現は夢であったし、その夢が実現されるなら、改造にも積極的に参加し、改造資金を一部負担しても計画を進めようということになった訳です。

この計画がいかに学生に喜ばれ、そして、その実現に寄せる期待がいかに大きいかは、その後のクラス討議で学生負担金500円を誰一人の反対もなく決定し、代議員会で全学的に決議した事からもわかって頂けると思います。しかし何分、学校から出る予算は少なく、目黒会も協力して下さることになっていたのですが、この計画の実現のためにわれわれ学生側からも改めて協力をお願いし、われわれ自身もその募金には積極的に協力することにしました。そしてこれが学友会に作られた浜見寮改造委員会の大きな仕事の一つになりました。われわれはこれに従って、12月中旬、都内60余りの支部と職場を訪問し協力をお願いしました。その節は快くわれわれの計画に賛同、協力を約東され、逆に励ましを頂き、われわれ一同大いに力を得ました。ここにお礼を申し上げます。また、限られた時間のため訪問できなかった支部、職場の皆様には、この誌上を借りてお願いする次第です。

われわれは36年に入ってからすぐに改造案の設計にかかり、既にほぼ最終的な改造案を作り上げ学校側に提出しました。広いホールと、40~50人収容するベッド式の寝室を持った待望の寮が出来るのも、これで数歩前進しました。今年の夏は新装なった浜見寮にはち切れんばかりに学生が押し掛けるのではないかと思います。

完成後の運営については、当然のことながらわれわれは自治を要求しました。そして学校当局の理解ある解答を得ています。」

また、前目黒会会長別所重雄氏は、「電気通信大学学生厚生寮建設資金について」で、次のように書き残された。

この外に"ベニヤ御殿"として戦後親しまれてきた教職員の浜見山寮が、今なお廃屋に近い状態で残存しております。

敷地500坪、建坪148坪中83坪を取り壊し、65坪を200万円で改造しようというわけです。目黒校舎が調布校舎の本館、E棟、F棟と交換されたあと、この地は本学発祥の唯一の残地で、手離すことは愛惜の念に堪えません。東に江の島、西に富士、洋上はるかに火を噴く大島をのぞむ景勝の地で学生厚生寮としては天下最良の適地といえましょう。予算は学生55万、教職員20万、大学50万、卒業生75万、計200万、別に雑費7.5万を見積もってあります。

つきましては、大学内は絶大な熱意にもえております。卒業生諸君のご理解により予算を上回るほどのよりよき施設の建設、若人の人格完成を目指す場となることを切に願っております。なお工事は3月中に設計を終え、4月に着工、6月30日竣工の予定につき、各位のご協力を重ねてご依頼申し上げます。

浜見寮寄金募集現況調書  昭和36.9.30 現在
区分 35.12.8
初年度 予算額
36.5.27
修正 予算額
36.9.30
受入額
36.10 以降
要募金額
備考
卒業生 825,000 1,064,450 231,900 832,550
在学生学部 550,000 550,000 271,000 48,200 36年度卒業生
未納額 37,900
在学生短大 72,800 19,000
新入生学部 120,000 完納
新入生短大 38,000 完納
37年度新入生 学部・短大 156,000 0 156,000
教職員 200,000 239,550 239,550 0
1,575,000 2,010,000 973,250 1,036,750
雑収入
7,596
特志寄金
15,024
銀行預金
43,226
合計
980,846 1,095,000
(注)
  • 在学生(学部・短大)には36年度卒業生が含まれている。
  • 36.4現在 学生の出席人員は学部888名(外人学生を除く)、短大254名、合計1,142名。 この中に36年度入学生 学部240名、短大76名が含まれている。
  • 36.3卒業生は学部146名, 短大37名である。
  • 旧卒業生は住所の判明せる者4,000に呼びかけ全員の応募を期待している。

引用文からも明らかなように、全学及び卒業生挙げての募金活動が行われたのである。募金活動は、ほぽ順調に進み、総額334万5961円をかけて浜見寮は改築された。

このように、学生、教職員、卒業生のコンセンサスが得られ、一つの事業がなされたという事件は、ある美しさをもってわれわれに響くものがある。現在に、また未来にこのようなことが電気通信大学において可能であろうか。この答えは、また、われわれ自身が見つけなければならないと言えるであろう。

社会の出来事
  • 昭和33年2月24日 第2次南極観測隊、結氷で「宗谷」の接岸不能、第2次越冬を断念。
  • 昭和33年3月2日 英連邦フックス隊、史上初めての南極大陸横断に成功。
  • 昭和33年3月9日 関門海底国道トンネル開通式。(全長3,461メートル)
  • 昭和33年3月20日 東京-北京間直通電話、写真電送の取り扱い開始。
  • 昭和33年3月26日 岸首相、衆議院内閣委員会で、「在日米軍基地への攻撃は日本への侵略」と答弁。
  • 昭和33年3月31日 ソ連核実験の一方的停止を声明。
  • 昭和33年4月1日 売春防止法施行。(全国約3万9,000軒、従業婦12万人消える。)
  • 昭和33年4月19日 八丈島で今世紀最大の金環食観測。
  • 昭和33年5月16日 テレビ受信機NHK契約台数が100万台を突破。
    5月17日 大阪テレビ、日本で初めてVTR使用。
  • 昭和33年5月24日 第3回アジア競技大会、新装成った東京国立競技場で開催、参加20か国、選手役員1,400人。
  • 昭和33年6月6日 東京の電話50万台超す。
  • 昭和33年6月14日 日本海溝学術調査の潜水船、バチスカーフ(フランス)、宮城県女川沖で最深1,200メートルに達す。
  • 昭和33年6月20日 原水爆禁止を訴える広島-東京間(1,000キロ)平和行進出発。8月11日東京着。
  • 昭和33年6月24日 阿蘇山大爆発、死者12人。