電気通信大学60年史
付録
編集後記
- 山田千秋(昭15 本)
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無線電信講習所から電気通信大学に及ぶ60年の歴史には数万人のひとびとがかかわっております。『電気通信大学60年史』の刊行を心から慶祝します。私は、目黒会々長の依頼で刊行作業の最後の1年余りの間を手伝ったわけですが、それは苦難の道のりでした。限られた人数での編集作業は最後の詰めになるほどこまかい問題が多く、本職をきりつめての仕事だけに能率も悪く、根気仕事だと痛感しました。幸いに高野委員長の温かい励ましの言葉により、人為的、物理的障害を乗り越えて、ここに編集作業は終った次第です。編集にあたり、ご指導、ご協力をいただいた多くの関係者に対し、衷心より感謝の意を表します。本書も後世に残る歴史書であります。歴史はただ過去を追憶するものばかりではなく、現代の認識と将来への展望を見きわめるものであります。われらが母校の進展を祈ります。
- 田尻健男(昭和19 三普)
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この本は、きわめて少人数の執筆、編集スタッフによって完成され、世に出た。もちろん善意の各会員からいただいた資料をもとにして。しかし、関係役員は金は出さぬが口を出す人ばかりで、本作りのイロハも知らずにむしろ工程を妨害して来た。50年史が流れ、この本が遅れても、完成出来たのは、刊行委員長の熱意と、これに従事したごくわずかな人たちの意地の産物である。
- 渡辺正史(昭和19 一普)
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私は大正末期生まれの一刊行委員であった。年史記述を高野委員長より委嘱され、浅学ながら戦中時代の部門について約400枚の原稿を書いた。幾百となく寄せられた戦時体験の記録から深夜ふと涙したこともあり、しみじみと生きていることの喜びを知った。苦しみに耐え、刊行に至った嬉しさは私の人生の中で忘れられるものではない。電通大60年史発刊万才、私はこの言葉を諸先輩そして後輩にむけて叫びたい。
- 牧野武浩(昭和22 技専)
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50年史が何やら60年史となり、60年史の発行も原稿上りの予想外の遅れ、かてて加えて編集の難行からいつの間にかとうとう今日になって了つた。難産であった。校了してみて一番気がかりなのは、貧しいトンツー学校から、時代を先取りするエレクトロニクスの、吾が国ただ一つの専門の大学へ生長した過程が、この60年史に充分伝統として語られているだろうか、と言うことである。編集の心がである。
- 中田良平(昭和39 RB 本学助教授)
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60年史は発行計画、何度かの会議、資料の収集、原稿の依頼等、卒業生が中心となって作りあげたもので、他大学のそれと違うところは"企業製"でないことです。多くの資料提供がありましたが "年史の一部分には資料がなく割愛、省略" のうきめにあったところもあります。40年後の100年史には多くの客観的な資料を集めておきたいものです。
- 晴山武(昭和40 JT)
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目黒会から60年史編集委員を頼まれ、出身母体である短大に関係ある部分の記事、資料の収集に携わった。年史と言っても単なる年表を作るのではなく、その背景を深く掘り下げ時と共に忘れ去られる事柄を活字にして後世に残し、本学の発展の一助にしようと言う趣旨で編集委員一同は関係方面にいろいろと当ってみたが思うようには進まなかった。そんな時に一期生の小林博夫氏の創立当時の様子を書かれた原稿を頂き、また短大事務部から拝借した資料でなんとか原稿を書くことが出来ました。ご協力に心から感謝しております。
短大関係の資料についてみると、事務部の保存文書、学友会、短大新聞部、各同好会の資料、同窓会機関誌「みみずく」等が考えられますがこれらの保存状態は余りよくなかった。これらの資料を整理して、同窓会皆さんの"もの"として保存し、後輩達に引き継ぎたい。各期とも横の"つながり"はよいが縦の"つながり"が悪く大変苦労した。今後も資料の提供、ご意見をお寄せ下さるようお願い致します。
- 重山英明(昭和29 B)
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大学の年史をつくるという話は、昭和46年頃から出ていたが、諸般の事情から50年史が60年史となり、その途中で高野編集委員長からは激文が飛ぶやら、いろいろの苦しみの経過をたどつて電通大60年史ができたといってよい。
編集作業は、沢山よせられた資料を整理し原稿にリライトする作業が2年間にわたってつづき、難行苦行の二言につきたといってよい。この60年史は過去の思い出にのみつきることなく、大学の未来の発展につながるように編集したつもりであるが一部資料がなく、会員諸氏の期待した年史になっているか、どうか、いまだに自分自身でも疑問を感じている。
なお志途中でさっていった服部仁、斉藤洋一氏には感謝の言葉をささげたい。また編集実務を担当してくれた高石厚雄、小林典子氏の協力があってこそできた年史である。
