電気通信大学60年史
前編1章 無線電信講習所設立の歴史的背景
第1節:無線電信法の誕生
1915年(大正4年)4月、独立した無線電信法が制定され、同年10月施行されるまでは電信法を準用した。
- 1900年(明治33年)10月10日逓信省令第77号
- 電信法は第2条、第3条、第28条、及第48条を除くの外之を無線電信に準用す。
- 1914年(大正3年)5月12日逓信省令第13号
- 電信法は第2条、第3条、第28条、及第48条を除くの外之を無線電話に準用す。
電信法第1条に「電信及電話は政府之を管掌す」と、電気通信事業の絶対的国営主義を宣言しているが、これは1868年(明治初年)、わが国が電信通信を開始するにあたって、日本の電信事業権を獲得しようとする外国電信会社の動きを予見して、政府は廟議で、電信事業を国営と決定し、外国からはもちろん国内からの電信事業私営の申請を全面的に拒否したことを示している。通信の秘密保護と公益に対する国の権威確保の思想から出た確固たる国策であった。
無線電信業務上必要な規則として、1908年(明治41年)4月無線電報規則制定。同年6月外国無線電報規則制定。いずれも同年5月から銚子無線電信局(海岸局)と天洋丸等の船舶無線電信局との問で公衆無線電報の取り扱いを開始するため及び7月から国際無線通信を開始するための必要から無線電信法に先立って施行されたものである。6月にベルリンで締結の万国無線電信条約同附属業務規則が公布された。この条約は1906年(明治39年)10月ベルリンで開催された第1回万国無線電信会議(無線電信連合、加入国27、日本も加入)で締結されたもので、無線電信機器の機能についての考慮と、無線通信従事者の技能についての要求が含まれていた。とくに無線通信従事者には既に序章において触れてあるが、(1)一定の速さの欧文モールス符号送受信能力、(2)無線電信機器の調整能力、(3)通信の秘密を守る宣誓、が要請されていた。逓信省は7月1日を期して国際無線通信を開始するにあたり条約上の第一級資格者を養成して無線局に配属した。
1-1 海上人命安全条約
1912年(大正元年)6月ロンドンで第2回万国無線電信会議が開催された。この年4月英国豪華客船タイタニック号が処女航海において北大西洋で氷山に衝突して沈没したが、タイタニック号が発信したSOSは無線電信を持った貨物船カルパシア号が受信して、50海里の距離を必死に航走して救難に向い、タイタニック号の船客・船員2,223名中703名を救助した。当時タイタニック号から20海里の距離に無線電信を持たない貨物船が在り、また15海里の近距離にあったカリフォルニア号は無線通信士が寝ていたため、いずれもタイタニック号遭難を知ることができなかった。もしも全船舶が無線電信を装備し、SOSの聴守が義務付けられていたらもっと多くの人命を救助し、犠牲を最少限に止め得たであろう。無線電信による救助は1909年リパブリック号遭難とタイタニック号の2例であるが、この悲惨な実例は、海上の安全のための無線電信の重要性を認識させ、英、米その他の海運国では一定の大きさ以上のすべての船舶が無線電信を備えることを必要とする法律を立法化した。これを反映して、ロンドン会議では海上人命安全条約が締結され特定船舶の無線電信設備が義務付けられることになった。
1-2 無線電信法の制定
ロンドンで締結した「海上人命安全条約」は1915年(大正4年)1月から発効し、塔載人員50名以上の外国航路船はすべて無線電信を設備しなければならないことになった。これによって、わが国は同年4月新たに無線電信法を制定し、6月19日公布、11月1日から施行され、これに伴って私設無線電信規則及び私設無線電信通信従事者資格検定規則も施行された。無線電信法はその第1条に「無線電信及無線電話は政府之を管掌す」と政府専掌主義の根本は踏襲されながらも、ロンドン条約に適応するため及び無線通信の国際性という観点から第2条で大幅に私設を認め、従来の絶対的政府専掌主義の一端を訂正した画期的な立法といえる。
この無線電信法は1921年(大正10年)4月、第29条「航空機の無線電信、無線電話への準用」、第30条「本法適用について航空機を船舶と看倣す」及び1927年(昭和2年)ワシントン第3回万国無線電信会議で締結された万国無線電信条約の1929年(昭和4年)発効に伴う一部改正、の2回だけの改正で1950年(昭和25年)6月1日、電波法が施行されるまでの30年余の間無線通信の統制法規として存続した。
1-3 私設無線通信始まる
無線電信の初期における逓信省の考え方はあくまで有線電信の補助的通信手段で、有線電信回線のない地域の(海上を含む)公衆電報取扱い(この場合、官報も公衆電報とみなす)を第一義とした。
ロンドン条約の精神はこれとは別で、無線電信を、他に通信手段のない航行中の船舶の通信に優先的に利用させることから進んで、船舶の遭難通報及びこれによって人命救助に有効であることを実例から認識し、船舶(後に航空機も)無線電信を海上人命救助及び航行の安全(危険防止)のための設備として、必要とする船舶全部に無線設備を義務付けることにあった。その内容としては、遭難通信、航行安全通信(広義には気象通信、衛星通信、医療通信を含む)を第一義とし、ついで海運業務に必要な通信、その次に船客、乗組員の私的電報いわゆる公衆通信、新聞等の文化通信と、通信順位が変わった。そして無線電信局は国または電信会社の営業所でなく、船主が施設する純然たる船舶の救難、航行の安全、船舶の事業用の設備となった。船客、乗組員の私用の電報(公衆電報)は船主(無線電信の施設者)が逓信省の委託を受けて(公衆無線電報取扱所)取り扱うことになり、わが国の官設の無線電信局も新しい通信順位によって通信を行うことになった。
ここで、少し無線電信法の条文を引用してみると
1915年(大正4年)11月施行された無線電信法第2条 第1項 航行の安全に備ふる目的を以て船舶に施設するもの 第2項 同一人の特定事業に用うる船舶相互間に於て其の事業の用に供する目的を以て船舶に施設するもの 第3項 電報送受の為電信官署との間に施設者の専用に供する目的を以て電信、電話、無線電信又は無線電話に依る公衆通信の連絡なき陸地又は船舶に施設するもの 第4項 電信、電話、無線電信又は無線電話に依る公衆通信の連絡なく前号の規定に依るを不適当とする陸地相互間又は陸地船舶間に於て同一人の特定事業に用うる目的を以て陸地又は船舶に施設するもの 第5項 無線電信又は無線電話に関する実験に専用する目的を以て施設するもの 第6項 前各号の外主務大臣に於て特に施設の必要ありと認めたるもの
この条文を見ても分かるように、船舶に重点を置いた幅広い私設無線電信が認められるようになった。
この無線電信法の適用を受けて外国航路で塔載人員50人以上の船舶は全部無線電信の施設を義務付けられたが、当時第一次世界大戦が勃発していた事情もあって、危険海域を航行する船舶は義務付けられなくても無線電信を必要としていた時代で、船舶所有者は無線電信の施設を急ぎ、無線電信機器メーカーは船舶用無線機製造に追われた。ここで問題になることは通信従事者の獲得であった。初期には逓信官吏練習所無線科修了者の一部が私設無線電信局に転出したが、やがてメーカーが無線電信従事者の養成を行い、機器と従事者を供給するようになったのである。
船舶無線施設(航空機も同様)が先鞭をつけた私設無線通信は、その後、電波の質の研究と利用方法及び利用範囲の拡大に伴って、陸上における各種特定事業、新聞報道、放送、その他産業、文化、学術等各方面、更に人類全体が参加し得るアマチュア無線へと発展し、社会人の日常の活動、生活、保安等に直接あるいは間接的に役立つようになった。
なお参考として、私設無線電信通信従事者資格検定規則(日本無線史第4巻より)をあげておこう。 その検定制度の概要を摘録すると次の通りである。
(イ)受験資格者 | 満17歳以上の男女、学歴を問わず。 |
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(ロ)資格の種別 |
第一級 私設無線電信の主任。 第二級 無線電信法第2条第3号に依る施設の補助、その他の主任。 第三級 無線電信法第2条第5号に依る施設の主任、その他の補助。 |
(ハ)資格検定の種別 | 試験検定、銓衡検定 |
(ニ)検定科目 |
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(ホ)銓衡検定 |
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(へ)検定手数料 |
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また、第二級資格者の通信従事範囲の拡大は、1920年(大正9年)11月逓信省令120号を以て、第二級資格者は無線電信法第2条第3号に依り施設した私設無線電信の和文通信の主任たり得ることに従事範囲を拡大した。